日本陸軍と対国際連盟政策

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タイトル別名
  • The Japanese Army and its policy towards the League of Nations
  • the Geneva Disarmament Conference and the Manchurian Incident
  • ジュネーブ一般軍縮会議・満州事変への対応を中心に

抄録

本稿は、日本陸軍の国際連盟に対する政治的活動(以下、対連盟政策)の展開を分析し、それを通じて昭和初期における陸軍の政治的変容過程の一端を明らかにするものである。対連盟政策は、国内的問題である軍備問題がヨーロッパの外交空間で展開され、有事においては各国の軍事行動が問題化する点で、きわめて注目に値する。<br> そこで本稿では、ジュネーブ一般軍縮会議・満州事変への対応を検討し、国防政策における軍縮可能性の喪失と、対外政策における二国間間政治提携の再出現について、それぞれ以下のように明らかにした。<br> 対連盟政策は軍縮回避と国際協調への適応という二つの志向性と、そこから導かれたヨーロッパ国際政治への不関与方針をその基調とし、制度・人事的には「欧米通」を中心とした点にその特徴があった。ジュネーブ一般軍縮会議の国内準備過程おいては政軍間・陸軍内の双方で対立が抑制された。陸軍が主導権して策定した対策方針は、ヨーロッパへの不関与路線が維持されつつ、軍備制限への協調姿勢が演出されたものであった。しかし、軍縮会議の開会後の停滞と満州事変の連盟での争点化により、陸軍は軍縮会議対応を後景化させ、満州事変対応を対連盟政策の中心へと移行させる。そこでは満州事変の国際的解決策として対仏提携が構想され、それは連盟との共存を図るものでもあった。だがその構想が挫折し連盟脱退へと舵を切ると、陸軍は軍縮本会議への参加を実質的に放棄し、ここにおいて対連盟政策は終焉することになる。<br> 日本陸軍にとって国際連盟とは、その政治的変容を外形的に抑制する拘束力であった。その制約の喪失過程において、国防政策の焦点が軍縮から軍拡へと最終的に移行し、ヨーロッパと東アジアの国際政治を連動させて対応する二国間政治提携の思考・行動様式が現出したと言えよう。

収録刊行物

  • 史学雑誌

    史学雑誌 130 (10), 1-33, 2021

    公益財団法人 史学会

詳細情報 詳細情報について

  • CRID
    1390293810375953408
  • DOI
    10.24471/shigaku.130.10_1
  • ISSN
    24242616
    00182478
  • 本文言語コード
    ja
  • データソース種別
    • JaLC
  • 抄録ライセンスフラグ
    使用不可

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