<研究論文>「平均的な人間」から考える戦時下の文学 : 石毛源『江南戦線』試論

書誌事項

タイトル別名
  • A Study of War Literature from the Perspective of an “Average Person” : On Ishige Gen’s Kōnan Sensen
  • 「 ヘイキンテキ ナ ニンゲン 」 カラ カンガエル センジカ ノ ブンガク : イシゲ ゲン 『 コウナン センセン 』 シロン

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抄録

石毛源『江南戦線』(砂子屋書房、1939年9月)は盧溝橋事件勃発以来最初に出版された一出征軍人の個人歌集である。兵士を描くことを主眼とする戦争文学における書き手の主体性について、戦争の「内」から発する「私」による「兵士の文学」の作者は戦闘の当事者でありつつ文学の書き手でもあるという性質を持つ。こうした専業の作家とは言い難いより一般的な兵士の事例として、本稿は石毛源およびその作品を考察する。 具体的にはまず、個人歌集の選歌と出版にあたり、石毛を「特殊の兵隊」に造型する編集者側の意図を指摘し、こうした神格化されたように見える兵士の戦闘行為にかかわる心理的メカニズムを作者の手記や日誌、歌作などを通じて検証していく。そして、戦場における兵士のあらゆる心理的反応段階、とりわけトラウマの対処と深く関係する合理化と受容というプロセスにおいて、〈集団〉がいかに機能していたかを考察した上で、カタルシス的な社会機能に注目することによってプロパガンダとしての戦争文学を公的な顕彰と承認という異なる面から論じる。また、戦後に発表された石毛の作品を視野に入れながら、戦中から戦後にわたる「草」の表象にも言及する。 こうして戦時に開花する「兵士の文学」として、今まで取り上げられなかった石毛『江南戦線』を兵隊作家と呼ばれる火野葦平とその「兵隊三部作」から始まる戦争文学ブームというコンテクストに配置し、その生成過程や歴史的位置付けを問うてみた。「特殊の兵隊」という捉え方から兵士を「平均的な人間」という視点に還元させるとともに、「兵士の文学」の可能性を提起したい。

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