日本で最初の大学院医工学研究科ことはじめ

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抄録

<p>神武天皇が朝廷を開き、聖徳太子が十七条の憲法を定め「日出る処の天子」の国を整え、ペリーが襲来して維新から、科学・技術・軍事に必要性により帝国大学の制度が整えられ、1907年、東北帝国大学が仙台の地に設立されました。「研究第一」を掲げ、早くからME研究に着手され、私ども「抗酸菌病研究所」では、呼吸音研究の必要性から、心音図、超音波の開発に進み、世界で最初の「超音波心臓断層法」が開発されています。人工心臓研究も進み、大学病院では日本で最初の空気圧駆動補助人工心臓患者の長期生存に成功し、ME研究が患者さんの救命に直結しています。赫々たる伝統に基づき、わが国初の「大学院医工学研究科」が、東北大学に設置されました。医学の理論と、工学の理論は、全く異なります。と、言うことが判明したのは最初期の「教授会」での激論です。「医工学は工学である」「いや、そうではない」侃侃諤諤たる議論が続き、わが国でも初の試みとして「医工学研究科」の体制が整っていきました。医学系出身者にも工学系出身者にも広く門戸を開き、医学出身者には工学中心の教育、工学系出身者には医学教育を中心に、それぞれ最適な教育カリキュラムが組まれます。奨学金等も充実させ、広く人材を求めているので、国籍年齢性別に差別なく研究がすすめられ、教授よりはるかに年上の会社の社長さんの博士号などもありました。是非、一度、覗いてみてください。</p>

収録刊行物

  • 生体医工学

    生体医工学 Annual60 (Abstract), 73_1-73_1, 2022

    公益社団法人 日本生体医工学会

詳細情報 詳細情報について

  • CRID
    1390294276475948800
  • DOI
    10.11239/jsmbe.annual60.73_1
  • ISSN
    18814379
    1347443X
  • 本文言語コード
    ja
  • データソース種別
    • JaLC
  • 抄録ライセンスフラグ
    使用不可

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