妄想の深層心理 : ユングからラカンへ(1)

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タイトル別名
  • Depth-Psychology of Paranoia : From Jung to Lacan (1)
  • モウソウ ノ シンソウ シンリ ユング カラ ラカン エ 1

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抄録

本稿(1)(2)では,かつてユング心理学の観点から解釈が行なわれた,ドイツ・ロマン派の作家ホフマンの『ブランビラ王女』(西村,1997)と統合失調症の臨床事例(西村,1998)が,今回はラカンの精神分析の観点から再解釈が試みられた.『ブランビラ王女』の主人公ジーリオも事例も,若い男性で,誇大妄想をもっていたが,その背後にはユングのいうアニマ(心の深層の女性的存在)の問題と絡んでラカンのいう「父の名」の問題が横たわっていたと考えられた.幼少期,父の名が体得されることによって,主体は象徴界(言語活動の次元)に組み込まれ,欲動を制御しつつ,このわれわれの共同の現実世界を生きていくことが可能となる.本稿(1)では,『ブランビラ王女』の再解釈までを載せる.主体(ジーリオ)は去勢を是認して父の名の体得をやり直すという課題に直面した.その際,父の名は,主体の側と,<他者>における言語の側に分裂した.主体は,主体の側にある父の名の片割れの援助を受けつつ,アニマ像に導かれ現実界へと接近し,鏡像段階以前の,現実界の中の主体,物自体としての主体,根源的主体に立ち返った.そして根源的主体は,それに相応しい大いなる<私>のイメージに包まれ匿われ守られ,いわば誇大妄想の状態で,父の名の体得のやり直しを果たした,と考えられた.

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