第二次憲政擁護運動と国民の政治参加 : 憲政会の闘将・関和知の最期

書誌事項

タイトル別名
  • The second campaign for defending constitutionalism expanded avenues for participation in politics by the people : the final battle of Seki Wachi
  • ダイ2ジ ケンセイ ヨウゴ ウンドウ ト コクミン ノ セイジ サンカ : ケンセイカイ ノ トウショウ セキ ワチ ノ サイゴ
  • ダイニジ ケンセイ ヨウゴ ウンドウ ト コクミン ノ セイジ サンカ : ケンセイカイ ノ トウショウ ・ カン ワ チ ノ サイゴ
  • 第二次憲政擁護運動と国民の政治参加 : 憲政会の闘将関和知の最期

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説明

本稿は,第二次憲政擁護運動における衆議院議員の政治活動を明らかにするものである。事例として,憲政会所属の関和知を取り上げる。1923年,山本権兵衛内閣が成立したとき,政策が近いにもかかわらず,関和知は超然内閣を理由に反対した。また,野党で合同の動きが生じたとき,彼はそれに賛成した。新党は成立しなかったが,虎ノ門事件によって山本内閣は退陣し,続く清浦奎吾内閣に対し,憲政会,政友会,革新倶楽部は野党となって反対する。ここでも,政策は近いにもかかわらず,超然内閣が反対の理由となった。関和知は一貫して超然内閣に反対し,国民の選挙で選ばれた多数党によって政府が運営されるシステムに固執した。

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