安保改定に向けた米国の決定

書誌事項

タイトル別名
  • The Taiwan Strait Crises and the U.S.-Japan Security Relations in the 1950s
  • ―1950年代台湾海峡危機の影響

抄録

<p> 1950年代、台湾海峡で二度の危機が発生した。本稿では、これらの危機における日本の姿勢が、同時期に検討されていた日米安保条約改定に関する米国の政策決定に与えた影響を検討した。</p><p> 1955年4月に決定された対日政策文書(NSC5516/1)では、検討段階では含まれていた安保改定を提起するという記述が、ダレス国務長官の主張によって削除された。その理由として、安保改定の利点が乏しい一方で米国の既得権を侵食すること、また第一次危機が発生していたが日本側から安保体制に異議が出ず安保改定を迫られていなかったことを指摘した。</p><p> その後、日本が安保改定を求めるようになり、米国務省も1958年に入って対日政策を再検討していたが、西側陣営の一員としての日本の意思が不透明で、さらに在日米軍基地への日本の発言権の問題もあり、改定交渉の開始に踏み切れなかった。しかし第二次危機が発生し、その下で日本政府が米国に批判的な姿勢を取らず、また基地運用に協力的な態度を取ったことにより、それまでの懸念が取り除かれたことで、米国務省は安保改定交渉の開始に踏み出すことができたと論じた。</p>

収録刊行物

  • 年報政治学

    年報政治学 73 (1), 1_399-1_420, 2022

    日本政治学会

参考文献 (3)*注記

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