明治前期における宮中・府中関係の形成

  • 原科 颯
    慶應義塾大学大学院法学研究科 日本学術振興会

書誌事項

タイトル別名
  • Palace and Politics in Meiji Japan:
  • The De-Politicization of the Early Meiji Imperial Court on the Way to the Meiji Constitution
  • ―立憲君主制への階梯

抄録

<p> 本稿では、明治前期(明治維新から明治憲法の制定まで)における天皇・皇室と政治の関係、即ち当時の用語でいう宮中と府中の関係(以下、宮中・府中関係)の形成過程を、伊藤博文による滞欧憲法調査以降の時期を中心に検討した。</p><p> 結果、明治憲法の制定に至って宮中・府中関係は、両者の相互不干渉を原則として、具体的には宮中の府中への干渉(政治関与)および府中の宮中への干渉(政治利用)をいずれも否定(ないし制限)する形で形成されたことが明らかとなった。かかる宮中・府中関係の整備は伊藤博文によって一貫して主導されたが、背景には、明治初期に宮中の政治的活性化に苦慮した経験のほか、主に憲法調査を通じて感得されたL. v. シュタインの立憲君主論や柳原前光の皇室制度論からの思想的影響が存在した。また、伊藤は併せて立憲君主制の積極的意義ともいえる皇室の国民統合機能を強化することを図ったが、同施策は相互不干渉を原則とする宮中・府中関係の整備を要請するものだったと考えられる。</p>

収録刊行物

  • 年報政治学

    年報政治学 73 (1), 1_143-1_165, 2022

    日本政治学会

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