ツォンカパが提起する『中観五蘊論』の著者問題

  • 横山 剛
    Project Assistant Professor, Gifu University, PhD

書誌事項

タイトル別名
  • Tsoṅ kha pa’s Doubts about Candrakīrti’s Authorship of the <i>Madhyamakapañcaskandhaka</i>
  • Tson kha pa's Doubts about Candrakirti's Authorship of the Madhyamakapancaskandhaka

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抄録

<p> チャンドラキールティ(Candrakīrti, 7世紀頃)が著したとされる『中観五蘊論』(*Madhyamakapañcaskandhaka, チベット語訳のみ現存)は,中観派の理解を交えながら,説一切有部の法体系を略説する小論である.しかし,アビダルマ的な色彩が強いために,一部の先行研究は同論をチャンドラキールティの真作とすることに疑念を呈する.筆者はこれまでにこれらの研究が提示する根拠を批判的に検討することで,それらが同論師の著者性を否定するためには十分でないことを指摘するとともに,真作を支持する新たな根拠を提示した.一方で,ツォンカパ(Tsoṅ kha pa, 1357-1419)も『善説金鬘』(Legs bśad gser phreṅ)において,これらの研究とは別の点から,チャンドラキールティの著者性に疑念を呈する.</p><p> 本稿は,ツォンカパの主張や根拠の詳細を明らかにするとともに,その妥当性を検討することを目的とする.ツォンカパは『善説金鬘』において,見所断の煩悩を断つ過程をどのように説くかという点を議論する中で,『中観五蘊論』の著者性に言及する.そこでは『倶舎論』と『阿毘達磨集論』の見道理論を対比しながら議論が進む.本稿では,両論における見道理論の差を明確化した上で,ツォンカパの主張を再考する.また,その主張の背景に,「有部の法体系=実在論」および「チャンドラキールティは世俗であっても実在論を認めない」という思想的な前提が見られることを指摘する.本稿では『中観五蘊論』の著作目的や性格を考慮に入れるとともに,有部アビダルマの法体系の性質にまでさかのぼって,これらの前提や議論の妥当性を検討する.そして,その主張や根拠がチャンドラキールティの著者性を疑問視するためには,十分ではないことを示す.</p>

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