聖(ひじり)と平安京周辺の山々

書誌事項

タイトル別名
  • Hijiri and the Mountains around Heian-kyo

この論文をさがす

説明

「聖(ひじり)」と呼ばれた僧侶たちをめぐる研究においては、十世紀から十一世紀にかけての平安時代中期が大きな画期になる。というのも、聖たちが登場しはじめたのが、この時期だからである。 ただ、当時の聖についての従来の研究では、a空也(「阿弥陀聖」「市聖」)や行円(「皮聖」)のような平安京で活動する僧侶か、b播磨国書写山の性空や多武峰の増賀のような地方の霊山に籠る僧侶かの、いずれかのタイプの僧侶だけが、考察の対象とされてきた。また、これまでの研究の多くは、所謂「鎌倉新仏教」のうちの浄土教系諸宗派が成立する前史としての、浄土教史の文脈において、聖を考察対象とするものであった。 しかしながら、当時の記録や説話に登場する平安時代中期の聖たちの多くは、c平安京周辺の山々(東山・西山・北山)に籠る僧侶である。平安時代中期に実在したことが確認できる聖たちの多くは、右のa類型の僧侶やb類型の僧侶とは、明らかに異なる類型の僧侶だったことになる。 そこで、本稿においては、これまであまり学術的な関心を払われずにきた平安京周辺の山々を活動の場とした聖たちに注目して、まずは、彼らの活動の実態を把握していく。すると、彼らは、山に籠って修行に励むとはいえ、けっして都の人々と無関係に存在していたわけではなく、むしろ、都の人々からの援助があればこそ、修行に専念できるような修行僧たちであった。 また、そうした作業をも通じて、多くの聖たちの活動の場となった平安京周辺の山々について、平安時代の人々がどのような認識を持っていたかということを検討するならば、「東山」と総称される山々および「西山」と総称される山々は、仏典に説かれる多様な浄土の入口と見做されていたのに対して、「北山」と呼ばれる山々は、天狗や仙人や鬼や祀られない神といった非仏教的な「霊威」の存在たちの住処と見做されていたのであった。

収録刊行物

  • 常民文化研究

    常民文化研究 1 (2022) 125-159,vi-, 2023-03-30

    神奈川大学日本常民文化研究所

詳細情報 詳細情報について

問題の指摘

ページトップへ