中世における桜島火山噴火の年代と災害

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タイトル別名
  • Research on Eruption date and Disasters of Sakurajima Volcano in Medieval Japan

抄録

桜島火山の文明年間の大規模な噴火イベントは、文明8(西暦1476)年に起こった可能性が高いが、季節比定に関して問題が残されており、さらなる検証が必要である。桜島文明テフラの現存層厚0.3m以上のエリアでは、耕地の大半は放棄されたと考えられる。現存層厚10㎝前後のエリアでは、水田・畠ともに復旧されており、その方法はいわゆる天地返し法だった。噴火が起きた文明年間は戦乱期であり、当時の社会的状況の中で大規模復旧事業となるテフラの搬出除去は不可能だったと思われ、現地における埋却処分という現実的な対策が講じられたと考えられる。宮崎県の都城盆地における桜島文明テフラ降下後の水田と畠における復旧は、広大な面積に及び、複数の作業単位が確認でき、当時の農民たちが、人海戦術によって火山災害後の最悪の事態を必死で回避しようとしたことをうかがえる。宮崎県のハザードマップ等では桜島火山には注意が向けられていないが、今後桜島火山が同様の規模の噴火をが起こした場合、甚大な被害が予想される。

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