<研究論文>十九世紀長崎南画壇の片影 : 鉄翁祖門の山水画と縮図冊

書誌事項

タイトル別名
  • <RESEARCH ARTICLE>Tetsuō Somon’s Landscape Paintings and Sketch Books : A Look at the Nanga Art Scene in 19th-Century Nagasaki
  • 十九世紀長崎南画壇の片影 : 鉄翁祖門の山水画と縮図冊
  • ジュウキュウセイキ ナガサキ ミナミガダン ノ ヘンエイ : テツオウソモン ノ サンスイガ ト シュクズサツ

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抄録

鉄翁(てつおう)祖門(そもん)(1791~1872)は長崎春徳寺の住持を務め、晩年は雲龍寺に隠居し、画禅三昧の生活を送っていた。彼は来舶清人の江稼圃(こうかほ)(1804~文政年間に来舶)に師事し、正統派の南宗画を習得した。木下逸雲・三浦梧門と共に長崎南画三筆とされ、19世紀の長崎画壇を代表する南画家である。その名は長崎だけではなく、かつては全国に広まったのである。画を志して長崎に赴いた多くの者は、その門に入った。  これまで、基本史料の整理によって鉄翁の生涯は明らかにされてきたが、画業についてはいまだに十分研究されてはいない。本論ではまず館蔵作品と売立目録の図版資料を利用して、鉄翁の山水画を考察する。続いて長崎歴史文化博物館所蔵の4冊の縮図を整理・分析し、鉄翁の中国画学習、及び彼の過眼した書画の内容を考察する。  鉄翁の山水画は江稼圃と舶載画の学習を通じて、雲龍寺時代に独自の画風に到達した。彼は江稼圃の様式、すなわち四王画風の末流を汲み取った高大な積み上げ式山水より、倪瓚(げいさん)の構図と黄公望(こうこうぼう)の皴法に基づく清淡秀雅の画風を好んでいた。鉄翁は師の画法を受け継ぐことより、南宗画の精神的な高逸さを追求していたことが見受けられる。  一方、縮図を通じて、鉄翁は四王画風の作品や画家伝など熱心に学んでいたことが分かる。さらに四王の他に、明末以降の諸地方画派も数多く展観していた。19世紀半ば以降、清画が舶載画の大半を占めるようになったことは、縮図冊を通じて分かる。董其昌(とうきしょう)以降の南宗画の諸地方流派の作品を、長崎ではほとんど観ることができたのである。この環境の中で、鉄翁は南宗画の精神に忠実な制作ができたのである。  鉄翁の作品と縮図を考察することによって、その画風の変遷、及び中国画学習の状況を確認し、長崎南画壇の一端を明らかにした。一方、鉄翁の縮図は一つの書画コレクションとみなすことができ、幕末の長崎における中国画の流通状況を反映している。長崎における制作活動と書画の流通との関わりを考察することは、近世美術における長崎画壇の位置付けを再考する手がかりになると考えられる。

収録刊行物

  • 日本研究

    日本研究 67 35-75, 2023-09-29

    国際日本文化研究センター

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