ルネサンス末期の文学実験工房─「アカデミア・デッリ・アルテラーティ」(1569-1634年)における詩と批評(BML Ashb. 561写本からBAV Vat. Lat. 8858写本まで)

書誌事項

タイトル別名
  • UN LABORATORIO LETTERARIO ALLA FINE DEL RINASCIMENTO: POESIA E CRITICA DELL’ACCADEMIA DEGLI ALTERATI (1569-1634) DAL MANOSCRITTO BML ASHB. 561 AL MANOSCRITTO BAV VAT. LAT. 8858

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抄録

<p>1569年から1634年まで、「アカデミア・デッリ・アルテラーティ」と呼ばれるフィレンツェの小さな私設アカデミーが、市の最有力家門の若き子弟たちの館で開かれていた。集まったのは、トンマーゾ・デル・ネーロ、ネーロ・デル・ネーロ、ピエロ・デル・ネーロ、会の中心人物となったジョヴァン・バッティスタ・ストロッツィ・イル・ジョーヴァネ、シピオーネ・アンミラート、ヴェルニオ伯ジョヴァンニ・デイ・バルディ、オッタヴィオ・リヌッチーニなどの当代知識人である。</p><p>アカデミーの『日誌』Diario(フィレンツェ、ラウレンツィアーナ図書館Ashburnham 558写本)には、修養の機会としての「書くこと」の重要性が頻繁に語られている。そのため詩作品を制作してアカデミーに持参し、投稿箱に提出するように定められた。およそ月に一度、箱が開けられ、作品は「査読者」の手にわたって評価と批評がなされる。次いで「弁護人」に回され、今度は逆に、彼らは作品を擁護しなければならない。このディベートは間違いなく詩作品の欠点を正し、質を高めたに違いない。同時に、自説を論理立てて展開することができるように、また、詩的基準にもとづいて判断を精緻化できるように、アカデミーのメンバーたちを育てていったに違いない。ここでの詩的基準とは、韻律論、文体論、言語論、象徴的含意、「権威たる著者たち」の伝統との整合性などを指す。</p><p>こうした査読と弁明のプロセスは、部分的にだが、現在まで伝えられている。ラウレンツィアーナ図書館Ashb. 560・561写本と、フィレンツェ国立図書館Ginori Conti 27b手稿には、実際、アルテラーティの何百もの詩が保存されているのである。それらの草稿には、時には多くの削除・訂正がほどこされ、また時には査読者や弁護人による評価が付されている。これらの写本は、アカデミー詩作品の「草稿」集成である『雑録』Zibaldoneの残滓である。他に現在まで伝わっている写本に、ヴァチカン図書館Vat. Lat. 8858写本(1575-1585年の間に筆写)があるが、こちらは「秀作」と判定された会員作品の公式アンソロジー(『日誌』で『アルテラーティ二次詞華集』とされる本)を伝える。</p><p>Vat. Lat. 8858に収録された詩の一部は、Ashb. 560・561所収のものと突き合わせることが可能である。『雑録』にある詩が、作品の私的第一稿とみなし得るのに対し、Vat. Lat. 8858の詩は、例えばAshb. 561に書きとめられているような賛否両論のディベートを通じて提案された集団的見直しに従って到達した「集団的」決定稿とみなすことができる。</p><p>これらのディベートを読み進めてゆくことは、したがって、極めて興味深い作業となる。なぜなら、ディベートがアカデミーのメンバーたちの教養や審美的嗜好を明らかにしてくれるからである。それゆえ、本論文では、Ashb. 561とGinori Conti手稿に見える査読と弁明の何節かを、可能な限りVat. Lat. 8858の最終稿とも突き合わせながら、分析する。ディベートで触れられた多くの重要な論点のうち、本論文第2章では、修辞・文体・言語にかかわる諸問題を集中的に扱う。そこから明らかになるのは、アカデミーのメンバー個々の様々な立場の違いを超えて、アカデミー全体がもつ「同時代主義者」という天性がいかに立ちあらわれ、口語を正真正銘の「権威たる著者」の基準とみなす「博識ある多様性」へと向かってゆくかである(クルスカ学会が当時求めていたのとは正反対の方向だ)。</p><p>他方、本論文第3章では、16世紀末におそらくもっとも流行した詩のジャンルであったマドリガーレに焦点を当てる。実際、マドリガーレはVat. Lat. 8858を代表するジャンルとなるのである。もっとも、アルテラーティの最有力メンバーであったジョヴァン・バッティスタ・ストロッツィ・イル・ジョーヴァネは、かの偉大なマドリガーレ作者、ストロッツィ・イル・ヴェッキオの後裔であり、さらには、1574年にフィレンツェ・アカデミーで口述されたマドリガーレ講義の著者その人であったのだが。</p><p>その意味で、以下のようなことが実証されたとしても驚くにあたらない。『二次詞華集』に認められる実際のマドリガーレ作品においてだけでなく、Ashb. 561に見えるマドリガーレへの批評や弁明においてもまた、支配しているのは奇想的な詩的言語の探求であり、その関心は自然さを犠牲にしてでも「驚異」の方へ、わかりやすさを犠牲にしてでも音楽性の方へ向かっている。アルテラーティ写本に見られる詩的実験は、実際、ほどなく初期オペラの実現につながる歌詞としての詩を準備する。他方それは、ガブリエッロ・キアブレーラの韻律的実験の先駆けをなしているようにも思われる。もっとも、『日誌』からわかるところでは、キアブレーラが範としたピエール・ド・ロンサールは、実際にアカデミーを訪問する以前からすでに、アルテラーティ内では読まれ、論評されていたのだが。</p><p>そういうわけで、このルネサンス末期の詩と批評の正真正銘の実験工房が残したものを研究することは、後に続くイタリアン・バロックの詩的・音楽的美意識の形成をよりよく理解するために、重要なのである。</p>

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