柴田承桂とその周辺

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タイトル別名
  • Shokei Shibata and the Surrounding People
  • シバタショウケイ ト ソノ シュウヘン

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抄録

柴田承桂(1849-1911)は尾張藩医 永坂周二の次男で,同じ尾張藩医 柴田承慶(1794-1868)の養嗣子となった.実兄の永坂石埭(1845-1924)も医師ではあるが,漢学者・文人として著名である.従来承桂の肖像とされる写真は石埭のものである可能性が高い.承桂の長男は桂太,桂太の子は承二,承桂の次男は雄次,その子は南雄.みな著名人である.薬学関係の知人には熊沢善庵(1845-1906),飯盛挺造(1851-1916),下山順一郎(1853-1912),丹波敬三(1854-1927),大井玄洞(1855-1930),丹羽藤吉郎(1856-1930)らがいた.交友との共著共訳も多い.承桂は東京の幸国寺に分骨埋葬.下山の墓は東京の常泉寺にあり,承桂の兄で漢文の巧みな石埭が墓碑文を撰んだ.下山の像は東大・東薬・犬山にある.丹波とは親交を示す承桂自筆書簡が残っている.丹波の像は東薬に,墓は多磨霊園にあり,最近複数の子孫から多くの遺品が東薬に寄贈された.「生薬学」の造語者である大井の像は江戸川橋公園に,墓は万福寺に現存している.

収録刊行物

  • 薬史学雑誌

    薬史学雑誌 58 (2), 87-94, 2023-12-31

    日本薬史学会

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