八千頌般若経における「善巧方便」について

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タイトル別名
  • Analyzing the Doctrine of <i>Upāya-Kauśalya</i> in the <i>Aṣṭasāhasrikāprajñāpāramitā Sūtra</i>
  • Analyzing the Doctrine of Upaya-Kausalya in the Astasahasrikaprajnaparamita Sutra

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説明

<p> 大乗経典において,善巧方便(Skt. upāya-kauśalya, Tib. thabs la mkhas pa)という概念は,『八千頌般若経』に初めて登場する.善巧方便は『八千頌般若経』の中で大きな影響力を持っており,空思想と密接に結びついている.マックイーン・ダグラス(Macqueen Douglas)によれば,菩薩によって体現される善巧方便は,空と比較すれば,菩薩道としてのより信頼できる指針であるという.西康友氏は,『法華経』に説かれる「善巧方便」は,仏陀が教えをより効果的に伝えるために隨宜説法(saṃdhābhāya)を用いることに含まれると指摘している.それに対して,『八千頌般若経』に説かれる善巧方便は,智慧と同様に重要視され,全知全能の菩薩道を完成するため習得しなければならないことが強調されると提示しておきたい.</p><p> マイケル・パイ (Michael Pye)とマックイーン・ダグラス(Macqueen Douglas)は,『八千頌般若経』における善巧方便と智慧を研究する先駆的な学者であるが,彼らの焦点は一般論にとどまっており,ある特定の章に説かれる比喩としての善巧方便に対して具体的な分析と詳細な解明までは行われこなかった.本稿は,第XIV章「譬喩」と「第XX章「善巧方便の考察」の章を対象とし,次の二つの焦点にあてる.(その一)善巧方便と智慧の関係,(その二)善巧方便と三解脱門(trivimokṣamukha)との相互作用についてである.善巧方便を習得できない菩薩は,声聞(śrāvaka)や縁覚(pratyekabuddha)の境地まで退転する可能性があると結論づけている.さらに,善巧方便を習得する菩薩は空・無相・無願の三解脱門に到達するといえる.そして,三解脱門の境地に到達すれば,退転することもないため,善巧方便は菩薩道を守るという役割を果たしているといってよい.</p>

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