玄奘,真諦,プトンの著書における無著と世親が大乗仏教へ迴信した伝説について

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タイトル別名
  • The Conversion of Asaṅga and Vasubandhu to the Mahāyāna: The Accounts of Xuanzang, Paramārtha, and Bu-ston
  • The Conversion of Asanga and Vasubandhu to the Mahayana : The Accounts of Xuanzang, Paramartha, and Bu-ston

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説明

<p> 本論文では,玄奘,真諦,プトンの著書における無著と世親が大乗仏教へ迴信した伝説を分析した結果,玄奘の『大唐西域記』によると,無著も世親も大乗ではない宗派で出家し,後に大乗へ「迴信」した.世親が無著の所在地,アヨーディヤー(阿踰陀國)へ移動する途中の寺院で滞在したとき,夜間に無着の弟子が『十地経』を誦えて,世親は「初發大乘心」した,とある.更に,世親が『俱舎論』を執筆した動機について玄奘は「世親菩薩 一心玄道 求解言外」と述べている.「玄道」とは第三転法輪を示唆すると考えられる.『婆藪槃豆法師傳』は「眞諦譯」といわれるが,真諦の弟子が筆記したのかもしれない.同書によると,世親は阿緰闍國に大乘寺を開基した,とある.その後,『俱舎論』を執筆し,僧伽紱陀羅との討論を高齢の理由に拒んだ.そして,無着が病気を装い,大乗を否定する世親を呼び説得した結果,世親は大乗の論者となった,とある.歴史的順序からみると,「不信大乘」の段階で大乘寺を開基するのは疑問で,『俱舎論』の執筆と大乗への回心との前後について再考察が必要である.プトンの『仏教史』によると,世親が無著に説得された以降,弥勒の教えを学び,達成してから『俱舎論』を執筆し,その後,サンガバドラの対論要求を断り,ネパールに移住した,とある.</p>

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参考文献 (1)*注記

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