<Research Note>“菩薩戒を有つには、梵網経に本づく” or “菩薩戒本の梵網経有り” : Punctuation and Interpretation Changes in Bodhisattva Precepts and Brahmajāla Sūtra

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  • <研究ノート>「有[二]菩薩戒[一]、本[二]梵網経[一]」考 : 八・九世紀の日本における『梵網経』関連知識の受容を手掛かりに
  • 「有菩薩戒、本梵網経」考 : 八・九世紀の日本における『梵網経』関連知識の受容を手掛かりに

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聖武天皇は、天平勝宝8歳(756)の5月2日に崩御した。この年末に、聖武の娘である孝謙天皇は、聖武の追善のため、翌年の周忌において、全国で『梵網経』を書写・講説するという旨の勅を下した。その勅において、「有菩薩戒本梵網経」の8文字が見える。  この8文字に関して、現在では、「有二菩薩戒一、本二梵網経一」と句読点と返り点を付け、「菩薩戒を有つには、梵網経に本づく」と読ませるのが常識である。しかし、言うまでもなく、『続日本紀』が成立した8世紀末では、句読点も返り点も存在せず、この8文字は「有菩薩戒本梵網経」と白文で記されていた。本稿では、この「有菩薩戒本梵網経」の8文字に、複数の解釈があることを示し、そして現在の読み方は、後からできたものであると論じる。  この8文字は、句読点を入れず、「菩薩戒本の梵網経有り」と読むことも可能である。本稿では、こちらの方が8世紀当時の読み方として相応しいのではないかという仮説を提示したい。この読み方の変動に拘った理由は、それによって書写された経典が変わっただけでなく、この変動が発生した理由を明らかにすることで、学術史の推移や研究関心の変動を理解するために有益だからである。

Journal

  • 日本研究

    日本研究 69 137-157, 2024-10-10

    International Research Center for Japanese Studies

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