<論説>アウンサン将軍と「アーザーニー・ベイッマン」(殉難者廟)

書誌事項

タイトル別名
  • <Articles>General Aung San and the Arzani Beikman, Martyrs' Mausoleum
  • アウンサン将軍と「アーザーニー・ベイッマン」(殉難者廟)
  • アウンサン ショウグン ト 「 アーザーニー ・ ベイッマン 」(ジュンナンシャビョウ)

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説明

ビルマ (ミャンマー) の民主派は、ビルマ国軍の歩みを整理し、同軍がアウンサン将軍の時代には国民の側に立っていたが、その死後に変質して、国民を抑圧するようになったと主張している。だが、史料の断片から窺うに、このような理解は単純に過ぎる。本稿は、アウンサンの複雑な実像に迫る作業の一部として、「アーザーニー・ベイッマン」(殉難者廟) の建設の問題を分析する。アウンサンと国軍は、日本軍の指導部の影響を受け、ラングーンに靖国神社を模倣したこの施設をつくろうとした。戦後も、「アーザーニー」(殉難者)の顕彰を継続した。一九四五年以後のアウンサンは、選挙を重視する姿勢を打ち出して、自らを民主主義者としたが、国民が国と軍に奉仕することも強く求めたのだった。そのようなアウンサンも、一九四六年以後、慰霊の対象を広げて、ナショナリズムに縛られた「アーザーニー」の理念からの脱却を始めた。

収録刊行物

  • 史林

    史林 107 (4), 489-517, 2024-07-31

    史学研究会 (京都大学大学院文学研究科内)

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