メカノバイオロジーの可能性

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  • 曽我部 正博
    名古屋大学大学院医学系研究科メカノバイオロジー・ラボ

抄録

文部科学省は,去る5月15日,平成27年度の革新的先端研究開発支援事業の研究開発目標として「革新的医療機器及び医療技術の創出につながるメカノバイオロジー機構の解明」を発表した.これを受けて,日本医療研究開発機構は6月中旬から「AMED-CREST,PRIME」の公募を開始した.ここでは注目を集めているメカノバイオロジーの由来と課題について概説する.<br>宇宙から帰還した飛行士や寝たきり患者は筋萎縮や骨粗鬆症を呈し,高血圧は動脈硬化などの疾患を導く.一方,マッサージやストレッチは筋の凝りや痛みを改善する.物理的な力が我々の健康維持や疾患に深く関わっているのである.これらの背後には力に対する細胞応答が潜んでいるが,そのメカニズムの多くは明らかではない.細胞には様々な化学刺激に対応したイオンチャネルや受容体が存在し,創薬の標的分子とされている.他方,細胞は骨格筋や臓器の動き,あるいは血流に由来する伸展・圧縮,流れ,静水圧などの異なる力刺激を識別感知して応答することが確実となり,「細胞力覚」と名付けられた.力刺激の多くは細胞が発生する力に由来し,細胞の形態,運動,周期,生死をオートクライン・パラクライン的に調節している.さらに驚くべきは,幹細胞の分化方向が接着する基質の硬さで決まるという発見である.細胞は力を感じるだけではなく,隣接細胞を含む微小環境の機械的情報を探知・利用しているのである.その分子・細胞機構の解明は,発生や再生における秩序だった組織形成,その破綻としてのがん発症に至るまで,まだ十分に理解されていない基礎的,臨床的課題に新たな突破口を開くものである.こうして細胞力覚は,細胞から個体にわたるあらゆる階層で重要な働きをすることが明白となり,ここ10年間で生体における力の役割と仕組みを解明し,その応用を目指す「メカノバイオロジー」という学問領域が誕生した.<br>力学を利用した医療では,人工心臓・血管,ステント,人工関節や理学・作業療法など,実用化が先行しているが,その科学的基盤は十分ではない.細胞力覚の理解が進めば,これらの体系化が進むだけではなく,力覚の異常に起因する心房細動,心肥大,筋萎縮,骨粗しょう症などを,物理的医療技術と薬の併用で,より効果的に予防・治療できるようになるかもしれない.また,分子・細胞レベルでの機械刺激や機械的環境を制御するナノロボットやナノ材料を利用した革新的な医療技術が誕生する可能性もある.これに対して細胞力覚の基礎研究は爆発的に進んでいる.様々な機械受容チャネルに続いて,タリンやアクチン線維などの接着関連タンパク質がメカノセンサー分子として同定され,その動作機構の詳細が解析されつつある.しかし,分化や増殖との関係を理解するには遺伝子発現を導くメカノシグナル機構の解明が必要である.最近,力刺激に応じたアクチン動態(重合/脱重合)の下流で働くYAP/TAZのような転写調節因子が注目されている.細胞に発現する多様なメカノセンサー分子は,力刺激のモードに応じて複雑な組合せで応答するだけではなく化学受容体ともクロストークする.これらの複雑な網目を解きほぐすことが今後の大きな課題である.<br>このようにメカノバイオロジーには,革新的な物理的治療法の開発と,メカノセンサー分子やメカノシグナル分子を標的とした創薬という2つの応用可能性が開けている.

収録刊行物

  • ファルマシア

    ファルマシア 51 (11), 1025-1025, 2015

    公益社団法人 日本薬学会

詳細情報 詳細情報について

  • CRID
    1390564238012090880
  • NII論文ID
    130007447887
  • DOI
    10.14894/faruawpsj.51.11_1025
  • ISSN
    21897026
    00148601
  • 本文言語コード
    ja
  • データソース種別
    • JaLC
    • CiNii Articles
  • 抄録ライセンスフラグ
    使用不可

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