江戸の御仕置をめぐる役と町

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タイトル別名
  • The roles of neighborhoods performing official duties for capital punishment in Edo during the Tokugawa period
  • エド ノ ゴ シオキ オ メグル ヤク ト マチ

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抄録

幕府が開かれ、大規模な造成工事を経て近世最大の城下町となった江戸では、初期に町割が行われた町方中心部に、公儀に対して国役を担う町々が見出される。国役には、技術労働等のほかに刑罰、特に死刑を意味した御仕置に関わる資材を差し出すものも含まれていたが、その内容や役を負担した町のあり方については明らかにされていない。町方の社会や空間の編成と深く関わる国役の重要性と、社会の秩序を維持し権力を行使するための刑罰の役割を考えれば、役の具体相および役と町の関係についての検討は、刑罰を支える枠組みを総体としてとらえ、政権の所在していた江戸の町方社会の特質をみるうえでも有効である。<br> そこで本稿では、御仕置者のある際に役を担う本材木町と炭町を主な対象として町の構造や商人の動向を検討し、①享保初年の江戸では、この両町を含む町方中心部の特定の町々が御仕置の主要な資材等を役として差し出しており、両町には江戸城の修復や造営に関わる御用を勤めた商人が存在したこと、②町の構造の変化や御仕置の増加等を契機に、享保期以降、負担の見直しや役に関わる実務の代替が行われたこと、③本材木町の場合、商人が勤めていた御用を町で役として負担するようになり、その枠組みは明治初年まで維持されたこと、④御仕置用の竹木等を町で役として負担していた点に江戸の特質があること、を明らかにした。<br> 職人町や伝馬町と同様、商人町は幕府の御用に応える渡世筋の延長上で御仕置に関わる役を担っていたが、町の構造の変化に伴い、本材木町では負担の増大を避けつつ役を維持するため、その実務に非人との複合関係を組み込んでいった。同時期に役負担が見直された京都では御仕置の主要な資材を商職人の集団が担っていることをふまえると、役や身分制という近世的な原理のもとで、諸集団の複合するそれぞれの社会の展開に即して御仕置の枠組みが支えられていたと考えられる。

収録刊行物

  • 史学雑誌

    史学雑誌 126 (10), 1-39, 2017

    公益財団法人 史学会

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