田鶴丸小伝

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タイトル別名
  • A Sketch of the Life of Ashibe-no-Tazumaru
  • タズマル ショウデン

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抄録

<p>本貫名古屋の狂歌師蘆辺田鶴丸が、三都の内の江戸で唐衣橘洲に狂歌を学び、名古屋に戻って業を廃しひたすら狂歌に親昵(しんじつ)し、さらに家族が病没してしまい哀切の極みのなかで、三ヶ津の京都狂歌壇にデビュー、狂歌三昧に明け暮れて亡くなった。</p><p>田鶴丸の生涯を見てくると、寛政、享和、文化、文政、天保という時代を、分かっている限りでも東(北)は仙台、松島まで、西は長崎まで、狂歌師として行脚している。田鶴丸は、三ヶの津、繁華な街という枠に縛られるということはなかった。しかして、少なくとも文政期以降、狂歌界においては、江戸と上方と区別する意識はなくなっていたようである。</p>

収録刊行物

  • 日本文学

    日本文学 62 (10), 28-41, 2013-10-10

    日本文学協会

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