原子力施設立地をめぐる「被害」と「加害」――ドイツ・ヴィール原発建設計画の事例から――

書誌事項

タイトル別名
  • ‘Victimization’ and ‘Infliction’ Concerning the Location of Nuclear Plants: A Case Study of the Planned Nuclear Power Plant in Wyhl, Oberrhein, Germany
  • ゲンシリョク シセツ リッチ オ メグル 「 ヒガイ 」 ト 「 カガイ 」 : ドイツ ・ ヴィール ゲンパツ ケンセツ ケイカク ノ ジレイ カラ

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説明

<p>これまでの「被害/加害」をめぐる議論が,「どのような被害/加害なのか」や「いかにもたらされるのか」(ファースト・オーダーの水準)を重視してきたのに対し,本稿は,「人々が被害/加害をどのようなものと観察し説明するのか」や「人々が加害/被害をどのようにもたらされたものと観察し説明するのか」という観点(セカンド・オーダーの観点)から,反対運動との関係性に焦点を当てながら「被害」と「加害」をとらえなおすことを試みた。</p><p>ヴィール原発建設計画反対運動の分析から明らかになったのは,人々が原発建設計画を当該地域に共有されてきた「被害の記憶」と関連づけて理解していたことと,それにともない原発建設計画を「みずからの『決定』の帰結(=リスク)」ではなく,「自分以外の誰かや何かによってもたらされる帰結(=危険)」と意味づけたことである。「中央」の理不尽な決定によって危険がもたらされる経験はこれまでも繰り返されており,それらを重ねることで,人々は疑似的な受益を超えてなお苦痛や損害を感じとることとなった。さらに,「被害の記憶」とは異なる時代のものでありながら同様に人々のあいだで共有されてきた「抵抗の物語」をもちいて反対運動が展開された。</p><p>これに加えて原発計画に賛成した人々の現状も踏まえたうえで,決定に翻弄されたことに対して社会運動という手段で抗う際の出発点となるという意味で,人々によって構築される「被害」の範囲を最大限にとらえることの意義を指摘した。</p>

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