立憲国民党の成立

書誌事項

タイトル別名
  • The formation of the Rikken Kokumin Party focussing the movements of Inukai Tsuyoshi and Sakamoto Kinya
  • 立憲国民党の成立 : 犬養毅と坂本金弥の動向を中心に
  • リッケン コクミントウ ノ セイリツ : イヌカイツヨシ ト サカモトカネヤ ノ ドウコウ オ チュウシン ニ
  • 犬養毅と坂本金弥の動向を中心に

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抄録

本稿の目的は、岡山県において立憲国民党が結成される過程を検討し、民力休養路線という党勢拡張路線の地域的拡がりとその政治史的意義を明らかにすることにある。<br> 本論を要約すると以下の通りである。1906年11月岡山県では、坂本派勢力と犬養派勢力とが反目しつつも合流し、地域政党鶴鳴会が結成された。こうした県政界の再編は、県全体の産業構造の変容と相俟って、それまで確固としてあった犬養毅の地盤を動揺させる。そのなか、1908年春、犬養は「経済的軍備論」を提唱する。これは、中央政界において減税運動を主導しうる政策構想であり、岡山県政界では県内の基軸産業の利害をすくい上げ、かつ坂本金弥の政策とも接近するものであった。これによって犬養派勢力と坂本派勢力とが一致して減税運動を推進すると同時に、旧来の地主・名望家層が犬養への支持を再度明らかにしていった。中央政界においても1909年以降、犬養と坂本が接近・提携し、翌年3月立憲国民党が結成される。これを受けて、岡山県でも同年5月に鶴鳴会は解散され、立憲国民党岡山県支部に合流する。<br> 以上のような、鶴鳴会から立憲国民党へと至る過程の分析から、本稿では、犬養と坂本のせめぎ合いの焦点には県内の中小の地主や商工業者の政治的主張をいかにくみ上げるかという点にあったことに注目し、岡山県のような農業生産力が高く在来産業・地場産業が展開している地域、なかでも瀬戸内・太平洋側では、政友会の利益誘導政策は相対的に機能しにくく、廃減税運動が盛り上がる傾向にあることを論じた。日露戦後の民力休養路線は、先行研究が注目してきた都市部だけでなく、農村部なかでも経済的先進地域にも一定程度の拡がりをもっていたのであり、さらにそのことは大正デモクラシー運動の政治的エネルギーにもつながったと考えられる。

収録刊行物

  • 史学雑誌

    史学雑誌 126 (12), 38-64, 2017

    公益財団法人 史学会

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