Kumārila and Śāntarakṣita on <i>saṃvāda</i>: The Agreement with a Cognition and the Agreement with a Real Entity

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  • クマーリラとシャーンタラクシタのsaṃvādaの解釈の違いについて――認識との整合性と実在との整合性――
  • Kumarila and Santaraksita on samvada : The Agreement with a Cognition and the Agreement with a Real Entity

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<p>本稿では,ミーマーンサー学派のクマーリラと彼を批判する仏教学派のシャーンタラクシタのsaṃvāda(整合性,整合知)という概念の解釈の違いについて明らかにする.</p><p>クマーリラは,『ブリハッティーカー』で,最初の認識の〈真〉(prāmāṇya)の確立のためにその〈真〉が後続のsaṃvādaによって検証されなければならないと仮定した場合に,そのsaṃvādaの〈真〉の確立のためにさらなるsaṃvādaが要請され,無限連鎖(anavasthā)の問題が帰結すると主張している.彼は『シュローカヴァールッティカ』でも同じことを主張しているが,その主張を他のプラマーナとの整合性(saṃgati)が〈真〉の条件でないことを論じる文脈の中に置いている.その文脈の中では,整合性は,新規情報を持たない再言(anuvāda)と関連づけられる.このことから,クマーリラは,saṃvādaという語によって,全く同じ情報を伝えるという意味での先行知との整合性を有する後続知を意図していたと考えられる.</p><p>上記の無限連鎖の主張を直接的に否定するために,シャーンタラクシタは,その中のsaṃvādaという語を〈他の認識との整合性〉ではなく〈実在者との整合性〉(vastusaṃvāda)を意味するものとして解釈する.彼によれば,〈実在者との整合性〉は,最初の認識の〈真〉そのものであり,具体的には効果的作用の認識のことである.この効果的作用の認識によって最初の〈真〉が検証されると仮定した場合には,無限連鎖の問題は全く起こらない.なぜなら,他のプラマーナが要請される余地がないからである.すなわち,最初の認識とは違って錯誤因を持たないのでそれによって〈偽〉の懸念が生じることがないという理由から,効果的作用の認識そのものはその自己認識の直後に生じる分別知によって自動的に確定される.そして,それは最初の認識の〈真〉であるので,その確定がそのまま〈真〉の確定にもなるのである.</p>

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