諸・転法論考

書誌事項

タイトル別名
  • An Essay on Preachings of the Buddha.
  • 諸・転法輪考 : 災害における言葉
  • ショ ・ テンホウリンコウ : サイガイ ニ オケル コトバ
  • ー災害における言葉ー
  • Words on Disasters

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抄録

    「津波は天罰」<br>  このように発言したのは、東京都の石原慎太郎知事(当時)である。<br>  東日本大震災の発生は平成23年(2011)3月11日。その3日後、蓮舫節電啓発担当相から節電への協力要請を東京都内で受けた後、記者団に語った、その主旨である。<br>  翌日の毎日新聞(3月15日付け)は、三段抜きで「石原氏〈津波は天罰〉」を見出しに掲げ、取材の記者は「〈天罰〉と表現したことが被災者や国民の神経を逆なでするのは確実だ」と批評し、発言の重要性を指摘した。都知事とて、出し抜けに「津波は天罰」と語ったのではなく、かかる発言に至るにはそれなりの道筋がある。しかしそれは背後に追いやられ、ことさら「津波は天罰」だけが注目されたのである。<br>  同日(15日)、石原知事は先の発言を謝罪し、撤回した。<br>  読売新聞(3月16日付け)の報道する見出しは小さく、「〈天罰〉発言を都知事が撤回〈深くおわび〉」とある。同紙はまた「都によると、この発言に対してメールや電話による意見や抗議が殺到していた………」と伝えている。<br>  記者団を前に公言した、その言葉を翌日には「深くおわび」して「撤回」するとはいかなる事態なのか。同席した記者が、聞く者の「神経を逆なでするのは確実」と危惧したように、事実、抗議が殺到した。だからひとまず謝罪したのであろうか。<br>  いずれにしても以後、続報が紙面に表れることなく、一件落着したようである。<br> <br>  一方、しばらくするとどこからともなく、次の言葉が巷に浮上してきた。<br>   「しかし 災難に逢(あう)時節には 災難に逢(あう)がよく候<br>   死ぬる時節には 死ぬがよく候 是(これ)ハこれ 災難をのがるゝ妙法にて候」<br>  越後の良寛の言葉である。<br>  ここで災難とは文政11年(1828)に発生した地震であるから、こちらは二百年ほど前に残された言葉が、今日、人々に思い出され流布したのである。<br> <br>  大災害に襲われ、それこそ様ざまな言葉が出現、飛び交った。あるものはすでに衰退するも、あるものは現在なお生気を失っていない。<br>  本論は「災害における言葉」に関心を寄せ、仏教的観点から言葉が如何なる働きをなしているのか、すなわち転法輪との関係を論究する試みである。<br>

収録刊行物

  • 智山学報

    智山学報 65 (0), 83-102, 2016

    智山勧学会

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