長野県開田高原における1955年頃の草地利用
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- 浦山 佳恵
- 長野県環境保全研究所
書誌事項
- タイトル別名
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- The grassland use of about 1955 in Kaida plateau,Nagano prefecture
抄録
一万年前から続く日本の温暖で湿潤な日本の気候条件のもとでは,人の手が入らない限りほとんどの場所で植生は森林へと変化する。そうしたなか近世の日本では肥料や秣,屋根葺き用の萱を得るための採草活動が盛んに行われ,近代まで広大な草地が維持されていた。20世紀初頭の日本の草地面積は国土の13%を占めていたという推計もある。しかし戦後,農業の機械化,化学肥料やトタン屋根の普及等によって草地は減少し,2011年の草地面積は国土の1%あまりとなった。<br><br>近年、草地は地域の持続的な農業システムや伝統文化と深く関わり,希少な動植物の生息・生育地となっている点で改めてその価値が見直されている。かつて日本の多様な自然環境の中で,地域毎に人々は草地やそこに生育する植物を認識し,採取・活用し,草地利用に関わる様々な知識を伝承してきたと考えられる。しかし,草地利用に関わる伝統知についてはあまり把握されていない。<br><br>近世以降の木曽馬の産地であった長野県開田高原では1955年頃まで馬飼育のための草地利用が続けられており,現在も0.5㏊の伝統的利用が継続されている草地が存在する。本研究では,日本の草地利用に関する伝統知の一端を把握することを目的に,長野県開田高原の1955年頃の草地利用について明らかにする。<br><br>当時の開田高原の草地利用については,当地域の農業形態や木曽馬と人の暮らしとの関わりが検討され,草地と農地と馬は厩肥生産を通して有機的に関わっていたこと,草地には夏用の秣となる生草を採る夏草場・冬用の秣となる乾草の生産を目的とした干草山・放牧場があったこと,高冷地のためほとんどが隔年採草であったこと,干草山では草を刈る年の春に山焼きが行われていたこと等がわかっている。本研究では,人々の草地や草等の植物に対する具体的な働きかけの実態に注目する。
収録刊行物
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- 日本地理学会発表要旨集
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日本地理学会発表要旨集 2019s (0), 40-, 2019
公益社団法人 日本地理学会
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詳細情報 詳細情報について
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- CRID
- 1390564238095301504
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- NII論文ID
- 130007628670
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- 本文言語コード
- ja
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- データソース種別
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- JaLC
- CiNii Articles
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- 抄録ライセンスフラグ
- 使用不可