「主体」を巡る映画的探求の「萌芽」としての勅使河原宏『北斎』

書誌事項

タイトル別名
  • Teshigahara Hiroshi’s <i>Hokusai</i> as a Burgeoning Cinematic Quest for “<i>Shutai</i> (subject)”:
  • 「主体」を巡る映画的探求の「萌芽」としての勅使河原宏『北斎』 : 瀧口修造版との比較分析
  • 「 シュタイ 」 オ メグル エイガテキ タンキュウ ノ 「 ホウガ 」 ト シテ ノ テシガワラ ヒロシ 『 ホクサイ 』 : タキグチ シュウゾウバン ト ノ ヒカク ブンセキ
  • A Comparative Analysis with Takiguchi Shuzō’s version
  • 瀧口修造版との比較分析

この論文をさがす

抄録

【要旨】<br> 勅使河原宏や松本俊夫ら、後に日本の「新しい波」と言われる映画人たちは、1950年代末頃から「主体」を巡って様々な映画を制作するが、本論は勅使河原の『北斎』(青年プロ、1953)を、そういった映画活動の初期作品であると位置付け、その観点から考察を試みるものである。<br> 勅使河原は1950年代初頭から「世紀の会」等のいくつかの芸術運動に携わり、後に映画制作で協働する安部公房や、1940年代末に「主体性論争」の中心となった「近代文学派」の人物たちとも交流を持ち、同時代に芽生えていた問題意識を共有していく。勅使河原はそういった活動をしている時に、瀧口修造が過去に制作していた映画『北斎』の仕事を引き継ぎ、自分なりの『北斎』を再制作して監督デビューした。<br> そのため、本論では瀧口が残したシナリオと、勅使河原版の『北斎』とを比較し、また、絵画を「物語的」に扱う映画の先駆者であるアラン・レネらの影響も考慮しながら、勅使河原のオリジナルな演出に焦点を当てて『北斎』を「主体」との関わりから考察する。<br> 本論を通して、勅使河原の『北斎』は「主体」を巡る映画としてある程度の問題意識を提出できたが、問題点も孕んでいたことが明らかになる。結局、『北斎』は、日本の「新しい波」の活動が盛んになる前の1953年の作品であること、そして「主体」に関しても課題を含んでいることから、「主体」を巡る映画運動の萌芽であると位置付けられるのである。

収録刊行物

  • 映像学

    映像学 101 (0), 114-133, 2019-01-25

    日本映像学会

詳細情報 詳細情報について

問題の指摘

ページトップへ