日露戦後恐慌下の救済融資をめぐる政治過程
書誌事項
- タイトル別名
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- The political process involving bailout lending during the post-Russo-Japanese War era
- 産業資本家と政友会の接近
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説明
日露戦後は都市化、産業化の進展により、新たな利害が台頭してきた時代である。従来、財界や民衆運動といった新たな利益に対応した勢力として注目されてきたのは桂系官僚であった。一方、政友会に関しては、地方利益誘導による党勢拡張という観点から考察されてきたため、政友会が日露戦後の新状況にいかに対応したのかについて研究は進められてこなかった。<br> 本論は財界の影響力を端的に示した第一次西園寺内閣末期の財界救済運動を考察し、次の事実を明らかにする。第一に財界救済運動に産業資本家の日銀見返担保品拡張要求と金融業界の公債償還要求の二潮流が存在したことである。金融業界は鰻会・鮟鱇会を基盤とする桂系官僚との強いパイプを築いており、財界の本流であった。それゆえ、産業界は政友会へ接近することとなる。桂の支配下にあった大蔵省・日銀は担保品拡張に消極的であり、やがて、救済融資要求は日本興業銀行へ向けられる。政友会は財界救済に対応すべく、興銀と結託した救済融資を画策するのである。さらに、見返担保品拡張要求が展開する中、福沢桃介ら交詢社勢力と岡崎邦輔ら政友会議員が合流し、実業同志会が結成される。交詢社と岡崎のつながりは後に第一次護憲運動の震源となる。第二に政友会は興銀の救済融資にも消極的な大蔵省を制圧するため、桂との提携破棄、政権基盤拡大を図っていったことである。政友会は産業界、興銀との連携関係を背景に、政策決定の主導権を確立しようとしていく。水町袈裟六大蔵次官の更迭と興銀の添田寿一の後任次官就任によって、救済融資を断行しうる政策決定の主導権を確立しようとしたのである。<br> 日露戦後の政財界は桂と金融業界、政友会と産業資本家という対立構図を形成していた。政友会は産業界という財界の傍流を取り込むことで政権基盤拡大を目指していったのである。後の第一次護憲運動の発生は政友会と産業界の結合の延長線上に位置づけられよう。
収録刊行物
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- 史学雑誌
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史学雑誌 127 (7), 39-61, 2018
公益財団法人 史学会
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詳細情報 詳細情報について
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- CRID
- 1390564238106924160
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- NII論文ID
- 130007681650
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- ISSN
- 24242616
- 00182478
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- 本文言語コード
- ja
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- データソース種別
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- JaLC
- CiNii Articles
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- 抄録ライセンスフラグ
- 使用不可