真空の寿命

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タイトル別名
  • Lifetime of a Vacuum
  • シンクウ ノ ジュミョウ

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抄録

<p>我々の宇宙は,熱い宇宙から始まり,宇宙膨張に従って徐々に冷えてきた.その間,幾つかの相転移があり,より低いエネルギー状態へと遷移してきたと考えられている.現在の宇宙の温度はおおよそ3 Kほどであり,素粒子標準模型(以下,標準模型)における「真空」周りに落ち着いている状態である.通常,量子論における真空という言葉は最低エネルギー状態を指すものであるが,より広い意味でエネルギーの極小点にも使われる.最低エネルギー状態を特に「真の真空」と呼び,そうでないものを「偽の真空」と呼ぶ.我々が今,真の真空にいるか偽の真空にいるかは,残念ながら究極の理論を知らない限り判別できない.</p><p>それでは,もし偽の真空であったとして,何が問題になるのであろうか.偽の真空もエネルギーの極小点ではあるため,一度そこに落ち着いてしまえば安定に思える.しかし,量子論においては最低エネルギー状態でなければそれは不安定である.つまり,トンネル効果によって,偽の真空中に真の真空の小さな泡が突然現れてしまうことが起こり得るのである.この泡は,過冷却水の中にできた小さな氷の核のようなもので,真の真空への相転移をトリガーしてしまう.</p><p>仮に,標準模型が究極の理論であったとしたら,我々が今いる真空(電弱真空)は真の真空であろうか.標準模型のパラメーターは最近のヒッグス粒子の測定により全て決定されたため,電弱真空から外挿して他の真空が無いかを調べることができる.その結果,実は,電弱真空は偽の真空ということが分かった.素粒子の質量の源となっているヒッグス場の凝縮度が現在の値よりも桁違いに大きい場合には,エネルギーが電弱真空よりも下がることが予言されるのである.</p><p>電弱真空が偽の真空であるからといって,標準模型は究極理論では無いと言ってしまって良いだろうか.実はそれは言い過ぎである.崩壊を引き起こす泡の生成確率が,広い宇宙空間と長い宇宙年齢を考慮しても,一つも生じないほど低ければ良いのである.標準模型の電弱真空の寿命を計算してみると,宇宙年齢よりもさらに数百桁長い寿命を持つことが分かる.つまり,標準模型の電弱真空は偽の真空ではあるが,十分長寿命なのである.</p><p>ところで,我々の宇宙は過去にどのような相転移を経験してきたのであろうか.電弱相転移はそのうちの一つである.高温であった宇宙初期ではヒッグス場が凝縮しない真空が安定となるが,宇宙が十分冷えると電弱真空の方が安定となり,相転移が起こる.この時,過冷却状態が生じたとすると宇宙の物質が反物質よりも多い理由が説明できるかもしれない.将来の重力波観測,ヒッグス粒子の精密測定による電弱相転移の様子の解明が期待されている.</p><p>さらにずっと過去では,宇宙は非常に多くの相転移を繰り返してきたという仮説がある.超弦理論において,真空の数は10500とも見積もられており,我々の宇宙はこれらの真空の間で相転移を繰り返してきたと言う説である.素粒子論における様々な微調整問題は,インフレーションと相転移によって生じる無数の物理定数が異なる泡宇宙によって解決されるかもしれない.</p>

収録刊行物

  • 日本物理学会誌

    日本物理学会誌 74 (3), 128-136, 2019-03-05

    一般社団法人 日本物理学会

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