近代小説のエクリチュールと主体

書誌事項

タイトル別名
  • <i>Écriture</i> of Modern Fiction and Reader-Subjects: Roland Barthes, Hiroshi Andō, and Minoru Tanaka
  • 近代小説のエクリチュールと主体 : ロラン・バルト、安藤宏と田中実
  • キンダイ ショウセツ ノ エクリチュール ト シュタイ : ロラン ・ バルト 、 アンドウ ヒロシ ト タナカ ミノル
  • ――ロラン・バルト、安藤宏と田中実――

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抄録

<p>「言語論的転回」以後、書かれたものならば、なんでもエクリチュールとされるので、「近代小説のエクリチュール」という表現はトートロジーではないか。また、「作者の死」が宣告されたので、主体のことが語りうるのかと言われるが、その通りである。しかしそれはポストモダンの文学研究の枠組みであり、それを超えるには、主体のあらためての召還、他者を認め、自己否定を内包する書く行為のある近代小説が求められる。それが田中実の〈近代小説〉の特徴である。それを明らかにするために、本稿ではバルトの書こうとする「小説」と絡めて、安藤宏の〈表現機構〉と田中実の〈第三項〉を比較してみたい。</p>

収録刊行物

  • 日本文学

    日本文学 63 (8), 47-60, 2014-08-10

    日本文学協会

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