「〈第三項〉と〈語り〉」がひらく、深層の〈意味〉

書誌事項

タイトル別名
  • The “Third Term,” Narration, and the Revelation of the Narrative Base: Reading “Chirinuruwo,” Yasunari Kawabata’s Documentary Crime Novel
  • 「〈第三項〉と〈語り〉」がひらく、深層の〈意味〉 : 川端康成の《実録的犯罪小説》・「散りぬるを」を中心に
  • 「 〈 ダイサンコウ 〉 ト 〈 カタリ 〉 」 ガ ヒラク 、 シンソウ ノ 〈 イミ 〉 : カワバタ ヤスナリ ノ 《 ジツロクテキ ハンザイ ショウセツ 》 ・ 「 チリヌル オ 」 オ チュウシン ニ
  • ―― 川端康成の《実録的犯罪小説》・「散りぬるを」を中心に ――

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抄録

<p>田中実氏の〈第三項〉論については、分りにくいという批判が寄せられることが多い。しかし〈第三項〉論は、ポストモダンによって不可知とされ、それゆえ議論の埒外に放り出された世界、あるいは、私たちの読書行為は「一回限りの永遠の誤読」であり、テクストの〈読み〉や〈意味〉を問うことなど不毛であるとする考え方から、〈世界〉の存在を、そして〈文学〉を〈読み〉〈学び〉〈教える〉ことの意義を奪還する(現在のところ)唯一の方途であると論者は考えている。</p><p>こうした立場から本稿では、「〈第三項〉と〈語り〉」という観点から文学作品を読むことで、なにが明らかになってくるのか。また〈第三項〉が、具体的に文学作品とどのように関わっているのかを、川端康成の《実録的犯罪小説》と称される「散りぬるを」の〈語り手〉である〈私〉の位相を分析を通して考察し、本作が知覚や認識の「主体」とその主体の意識に映じた「客体(の影)」と、それを生み出す源泉である「客体そのもの」という〈第三項〉を描こうしたものであったことを明らかにした。</p>

収録刊行物

  • 日本文学

    日本文学 64 (3), 14-28, 2015-03-10

    日本文学協会

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