自由学園草創期におけるキリスト教と「自由」問題 (3) 羽仁夫妻の「信仰の事業」としての自由学園創立とそのキリスト教

書誌事項

タイトル別名
  • Christianity and Freedom of Jiyu Gakuen in 1921-1930s (3) Hani's School as Their Christian Work and its Christianity
  • ジユウ ガクエン ソウソウキ ニ オケル キリストキョウ ト 「 ジユウ 」 モンダイ(3)ハニ フサイ ノ 「 シンコウ ノ ジギョウ 」 ト シテ ノ ジユウ ガクエン ソウリツ ト ソノ キリストキョウ

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抄録

羽仁もと子、吉一は、1921年に自由学園を創立した。本科(女学校)5年、文学科・家庭科(高等科)2年からなる女子教育機関として、高等女学校令に拠らない各種学校としての設立であった。設立目的等にキリスト教は明記されず、また最初期には決まった形の礼拝はおこなわれなかった。 羽仁夫妻は、神を慕う心は人間の最奥の心の働きであり、これを無視・軽視した人間教育は成立せず、教育は宗教を問題にしなければならないとの確信をもっていたが、教育にも宗教にも決して圧迫(詰込み)があってはならないとして、生徒の自由な探究の生活を重んじ、懇談や修養会を通して礼拝へと生徒たちを導いた。また宗教史や倫理学、キリスト教社会事業など様々な学びも配置された。羽仁夫妻はこうした宗教教育を、1920~30年代前半にかけて植村正久や高倉徳太郎の指導によって深めていった。特に高倉徳太郎と羽仁もと子は自由の問題をめぐって長く対話を続けた。 自由学園の教育実践は1920年代後半から社会運動にも広がりをみせた。当時、労働問題や農村問題等の社会的課題に対して様々な立場からの社会活動が展開しており、自由学園はその教育の立脚点と目的を明確にする必要にも立たされていた。1931年に自由学園は創立10周年を迎え、学園長羽仁もと子は、自由学園の根本精神は神を信じることにあり、その教育と生活に最も力強い権威、すなわちキリストがあると言明した。1932年、羽仁もと子はフランス、ニースで行われた第6回新教育連盟世界大会で「それ自身一つの社会として生き成長しさうして働きかけつつある学校」と題する講演を行った。前年の満州事変とその後の世界情勢に対して、教育を通じた社会改造の道を模索しつつあったもと子は、この講演のなかで、自由学園の実践を引きながら教育と宗教における自由の重要性を述べ、キリスト教に立脚した自由教育が平和建設に寄与すべきと主張した。

収録刊行物

  • 生活大学研究

    生活大学研究 5 (1), 61-85, 2020

    学校法人 自由学園最高学部

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