秋田藩横手御城付山林の管理と利用

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書誌事項

タイトル別名
  • Forest Management of Yokote Castle in the Akita Clan in the 18-19th Centuries

抄録

<p>秋田藩支城の横手城の後背に広がる横手御城付山林の管理と利用について、明治期までを射程に入れて分析した。19世紀前半以降には、藩の役人である山林取立役や御林守、城代戸村家の家来らが同所での植林を進め、一定の成果をあげた。横手御城付山林は、面積こそ小規模であるものの、山林の少なかった当該地域においては重要な存在であった。横手御城付山林では、横手城の建築用材や城下町の土木用材が伐採されるとともに、薪や山菜等も採取された。この横手御城付山林は、明治期になると官林(のち国有林)へ編入された。明治22年(1889)には、旧横手武士らが横手殖林組合を創立し、旧御城付山林への植林を開始した。組長を務めた小田部五郎右衛門家は、旧横手武士のなかでも上級武士の家であった。同35年、横手殖林組合は株式会社横手殖林社として再編されるとともに、旧御城付山林の払い下げを受けた。同社は地域住民へ旧御城付山林の下草等を売却したほか、土地を貸与し、その利益で植林を進めた。同社の株の約半数は、横手町と朝倉村(現・横手市)が取得した。ちなみに同社は令和元年(2019)9月現在まで第三セクターとして存続している。</p>

収録刊行物

詳細情報 詳細情報について

  • CRID
    1390566775155039360
  • NII論文ID
    130007880637
  • DOI
    10.11519/jfsc.131.0_3
  • 本文言語コード
    ja
  • データソース種別
    • JaLC
    • CiNii Articles
  • 抄録ライセンスフラグ
    使用不可

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