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Prajñākaragupta’s Criticism of Theory of Whole (<i>avayavin</i>)

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Other Title
  • プラジュニャーカラグプタによる全体(avayavin)説批判
  • Prajnakaragupta's Criticism of Theory of Whole (avayavin)

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Abstract

<p>プラジュニャーカラグプタのPramāṇavārttikālaṃkāra(PVA)ad Pramāṇavārttika(PV) III 194–207では,ディグナーガの知覚理論とアビダルマの学説の会通が試みられており,経量部の原子論と対立するニヤーヤ・ヴァイシェーシカ学派の全体(avayavin)説への批判が展開されている.本稿では,当該箇所における,特に多色蝶(citrapaṭaṅga)の例を用いた議論に焦点を当て,全体説批判の論法を考察する.</p><p>仏教による全体説批判の重要な批判の一つは,「布などの全体が単一であれば,その一部は赤いが他は赤くないということはありえない」といった,全体が単一である場合に生じる不合理の指摘であり,これはダルマキールティのPV IIやPramāṇaviniścaya(PVin)Iにおいて見られる.一方,PV III 200では多色蝶の例が挙げられ,対論者は全体である蝶の多様な色は単一だと主張する.この,全体には多様という一色が存するという理論は,全体が複数の色を有しえないことを指摘するPVin等における批判に対する反論として機能していると理解できる.</p><p>PVA ad PV III 201–204では,多数の色を有する種々の宝石や人工蝶の例を用いた議論が行われる.対論者は,宝石の例においては,種々の宝石は個々に分けることができるが多色蝶は分割不能なため単一だと主張する.これに対して,仏教側は,多数の布から作られたに過ぎない人工の蝶の例を用いて,天然の多色蝶を単一なる実体だと見なす必要が無いことを示し,諸部分とは別に全体を想定する根拠が存在しないことを指摘する.以上のように,当該箇所における議論では,全体である多色蝶と部分の集合である人工蝶等の比較によって両者が異ならないことを示すという論法が採られている.</p>

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