奄美大島宇検村屋鈍におけるシマの地名呼称と環境利用

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タイトル別名
  • Compilation of traditional place names and associated environmental uses in Yadon community, Uken Village, Amami Oshima Island

抄録

<p>はじめに  ハレとケのどちらも含んだ生活の中に先人たちが築いてきた文化があり,地名も現在まで連綿と受け継がれている文化の一つである.公文書などに記載される行政地名のほかに口承だけの通称地名も数多く存在するが,通称地名はほとんど文字化されておらず,地名呼称の必要性が無くなったら消滅する.高齢化の進行や生活様式の変容,土地の区画整備などに伴って失われた地名そして文化は枚挙に暇がない.</p><p></p><p> 本発表では,日本本土よりも旧来の文化が色濃く残る奄美大島宇検村の屋鈍集落において収集できた背後の山地から前面の海岸にかけての地名呼称および環境利用の変遷について報告する.現地調査の遂行に令和元年度鹿児島大学教育学部鶴丸優美子研究助成寄附金を使用した.</p><p></p><p> </p><p></p><p>研究方法  宇検村を含む奄美大島南西部はあまり開発が進まず,伝統的な生活様式が日常の中に垣間見える.2019年7月・10月,2020年2月に,幸いにも90歳前後のおばあトリオを含む6名のインフォーマントから,通称地名や環境利用に関して貴重な情報を得られた.この聞き取り調査を中心に,空中写真(米軍1946年撮影,国土地理院1965/1976/1984年撮影)の判読および宇検村誌編纂委員会(2017)等の文献にもとづいている.</p><p></p><p> </p><p></p><p>記載  焼内湾を取り囲むように分布する宇検村のシマで最西端に位置する屋鈍集落は,東方に同村の阿室,南方に瀬戸内町西古見と隣接し,西端の曽津高崎まで範域が広がっている.屋鈍で耕地が最も広がったとみられる昭和20年頃の地名呼称と環境利用,その後の土地利用の変遷について記載する.シマの前面を焼内湾,背面を山地に囲まれる屋鈍には平地が少なく,山地斜面の奥部まで作付けがなされていた.分水嶺がシマの境界と認識されており,田畑や海岸への道,シマ同士を結ぶ道が整備されていた.小学校がある阿室との往来は日常的(徒歩45分程度)で,海側の斜面沿いと山越えの2つの道で結ばれていた.南方の西古見との往来は,標高300m強の峠を越えるため,徒歩1時間半ほどかかったが,物々交換などの交流があったという.60代男性によれば,西古見の子供と野球の試合をするため頻繁に行き来していたそうで,基礎体力の違いは推して知るべしと言える. </p><p></p><p>現在の居住空間の東側にあるタブスコ周辺はシマ発祥の地とされ,流れ込む川の源流に当たる稜線上で雨乞いが行われたという.おばあトリオが若かりし頃一度だけ体験された雨乞い行事に興味深い自然観が読み取れる.鍋の煤を顔に塗って誰か分からないようにした青年たちがシマタテの地を潤す神聖な川の源流部まで登り唱え言をあげた後,浜で海水に浸かる.ここには火と水,山と海の循環があり,お願い事を慎む伝統的な価値観が残る.</p><p></p><p>分水嶺を越えて隣りのシマに入ると独自の呼称が付けられないものの,範域を網羅する形で地名や環境利用が記憶されていた.戦後から高度経済成長期にかけて,外部経済の流入や人口流出に伴い,土地利用空間は狭まり,田畑の多くは耕作放棄地を経て二次林化している一方で,カミミチなどの信仰空間は今も多くが残っている.</p><p></p><p> </p><p></p><p>考察  収集された屋鈍の通称地名70あまりを,山・川・海などの自然生態複合系,耕地・道路などの社会文化複合系,カミ・シマ境界などの世界観形成複合系の3つの基軸に沿って大きく分類し,方言や環境利用の様子などを加味しながら,屋鈍の人々の民俗分類について考察する.居住地域を中心としたとき,その周辺に耕作地域,採集地域,聖林とつづく構造になっている.この空間構成は宇検村の他のシマにも多くみられるが,霊性を帯びているとみられる山が2つ(キンピラヤマとウーサキナガネ)ある点は屋鈍に特徴的である.</p><p></p><p>雨乞いの行われたウーサキナガネはタブスコの源流に位置する稜線上で,タブスコ川の合流部(又)の先には水のカミが宿るとされるカマド石の採取地があるという配置である.つまり,タブスコからウーサキナガネにかけて水に関する強い霊性が認識されていたと考えられる.奄美大島のシマの共通項としてネリヤカナヤの世界観を反映した海域と陸地(山)をつなぐ信仰空間が挙げられるが,それは単に双方向のつながりにとどまらず,堀(2012)が指摘するような水霊循環・地霊循環の様相を呈するとみられる.その世界観は「ゆいむん」の考え方に現れており,シマの中である程度完結した生活を営み,シマの中で完結する世界観を完成させるための装置が生きていたと考えられる.屋鈍の伝統的な世界観は双方向のつながりをもち,循環する流れをもっていた.</p>

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詳細情報 詳細情報について

  • CRID
    1390571007535832448
  • NII論文ID
    130008092967
  • DOI
    10.14866/ajg.2021a.0_107
  • 本文言語コード
    ja
  • データソース種別
    • JaLC
    • CiNii Articles
  • 抄録ライセンスフラグ
    使用不可

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