原子力災害から考える問題解決型科学のあり方

DOI
  • 近藤 昭彦
    千葉大学環境リモートセンシング研究センター

書誌事項

タイトル別名
  • An Idea of Solution-oriented Science from the Perspective of Nuclear Disaster

抄録

<p>はじめに</p><p> 東京電力福島第一原子力発電所(以下、福一)の事故により放出された大量の放射性物質は、強制された人と自然の分断をもたらした。問題の解決は諒解の形成に過ぎないが、そのあり方について考えなければならない1)。</p><p> 2011年当時、事故後の状況が明らかになるにつれて水文学研究グループの中で現場調査に対するモチベーションが高まっていった。なぜなら阿武隈高地の大部分を占める山地斜面における水循環・物質循環の素過程を最もよく知る森林水文学、斜面水文学の成果の蓄積があったからである。報告者は水流発生機構に基づく流域からの放射性セシウム移行モデルを作成した。このグループはその後、文科省、規制庁の調査チームとして大きな成果を残した2)。</p><p> 千葉大学では事故前から川俣町山木屋地区と交流があったことをきっかけとして総合的な調査・支援活動を始めた。報告者は主に山林における空間線量率調査に従事したほか、川俣町山木屋地区除染等に関する検証委員会に参加し、ステークホルダー(以下SH)の声を聞く機会を得た。</p><p> これらの経験は異なる視座・視点・視野から原子力災害を捉えることを可能にした。そこから問題の解決、問題解決型科学のあり方、について考察した結果を報告する。</p><p></p><p>事象の認識−科学の成果</p><p> 正しい事象の認識は問題理解の大前提である。しかし、立場により受け取り方は異なる。2011年夏期に林道を主体とする空間線量率の走行サーベイを行ったが3)、その結果は村外に新しい村を作ることをめざすSHsは帰還できないことの根拠、帰還をめざすSHsは帰還できることの根拠として受け取られた。問題の解決を共有するSHsごとに科学の成果の解釈は異なった。</p><p> 2012年春季に走行サーベイによる空間線量率分布をある学会で発表したが、会場から事故後半年も沈着時のパターンは保存されないというコメントを受けた。当時ウェザリングと呼ばれた現象により、沈着時のパターンは失われるという主張だが、事象の解釈は縮尺を顧慮したプロセスベースですべしという地理学の鉄則が他分野には浸透していないことを痛感した4)。その後の航空機モニタリングの成果により福一80km圏の空間線量率はほぼ同じパターンのまま減衰していることが明らかとなっている。</p><p></p><p>問題解決型科学のあり方</p><p> 311後「直ちに健康に影響はない」というフレーズがテレビで流れ、低線量の被曝は健康に影響がないということを説く科学者もいた。その背後には合理的な科学の成果を理解すれば人は安心するはずだ、という考え方がみえる。ところが、SHが諒解を形成するには共感(エンパシー)と理念(社会のあり方)も共有する必要がある。しかし、“共感・理念・合理性”の3基準をSHsが共有するためには価値の領域にも踏み込まなければならない。それは従来の知識探求型科学とは異なる問題解決型科学の特徴である。“モード2科学”はじめ、いろいろな考え方があるが、科学の役割は変わりつつあるなか、地理学はもともと問題解決型科学としての側面を強く持つ科学である。</p><p></p><p>視座・視点・視野</p><p> 科学者も含むSHsは人間である限り、限定的な視座(立場)、視点、視野の“意識世界”を持つ。これらの違いにより価値の重点の置き方が異なってくる。</p><p> 例えば、山村の暮らしではマイナー・サブシステンスと呼ばれる山菜やキノコ、川魚等の採取は生き甲斐を形成する暮らしの重要構成要素であるが、視座が異なるとその重要性が認識できない。あるシンポジウムでは規制値(100Bq/kg)の半分を自主規制値とした団体に対して、100Bq/kgで良いことを主張する科学者がいた。東京におけるシンポジウムでは、“福島には住めない、住んではいけない”、と主張する参加者がいた。これらの齟齬は異なる視座・視点・視野を認識していないことに起因する。</p><p> 問題解決型科学では、異なる視座・視点・視野を包摂しなければならない。その包摂の達成は文系、理系の垣根を超えることにもなり、まさに系統地理学の体系、地誌の地域認識が問題解決型科学の礎になることを表している。その時の科学者の立場については、例えばPielke(2007)のHonest Brokerがひとつのあり方だろう5)。</p><p></p><p>おわりに</p><p> 福一事故は終わっていない。様々な問題が残っているが、トリチウム水の海洋放出もそのひとつである。難しい問題であるが、科学的合理性だけで人が行動するわけではないということを意識すべきである。重要な観点は信頼の醸成であり、信頼に基づいて人は諒解するのである。問題解決型科学は信頼の醸成が大前提になければならない。</p>

収録刊行物

詳細情報 詳細情報について

  • CRID
    1390571007537008896
  • NII論文ID
    130008092978
  • DOI
    10.14866/ajg.2021a.0_43
  • 本文言語コード
    ja
  • データソース種別
    • JaLC
    • CiNii Articles
  • 抄録ライセンスフラグ
    使用不可

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