茨城県陣屋敷低湿地遺跡に おける縄文時代後期から弥生時代中期の植生変遷

書誌事項

タイトル別名
  • Vegetation change since the late Jomon to the middle Yayoi periods at the Jinyashiki-teishicchi site in Ibaraki Prefecture in central Japan
  • イバラキケンジン ヤシキ テイシッチ イセキ ニ オケル ジョウモン ジダイ コウキ カラ ヤヨイ ジダイ チュウキ ノ ショクセイ ヘンセン

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抄録

茨城県では縄文時代の植生史に関する研究はほとんど行われてこなかった。稲敷郡美浦村の陣屋敷低湿地遺跡では1980 年代後半に発掘調査が行われ,花粉化石や大型植物遺体が検討されたが,人類の活動と植生との対応は未解明であった。美浦村保管の堆積物を使って,年代測定と花粉分析,珪藻分析を行い,人間活動との関連を検討した。その結果,土器の集積と焼土址が形成された縄文時代後期前葉~中葉には,台地上にコナラ亜属が優占する落葉広葉樹林が広がり,谷沿いにトネリコ属の低地林が形成され,台地斜面にはクリ林が維持されていた。その後,人の活動が不明瞭となる縄文時代後期後葉~晩期前葉には,コナラ亜属が優占する落葉広葉樹林が台地上に存続し,谷の中には縄文時代後期前葉~中葉の土器集積と焼土址を基盤としてトネリコ属シオジ節とアカガシ亜属を主体とする埋没林が形成された。この埋没林は,木本泥炭層を伴ったトネリコ属とハンノキ属を主体とする低地林とは異なり,流れにそってシオジ節が生育し,周辺のやや乾いた場所にアカガシ亜属やトネリコ節が生育する林であった。弥生時代中期になると,谷中には沼沢湿地が広がり,台地上にはシイノキ属やアカガシ亜属が優占する照葉樹林が形成された。以上の結果,遺跡の周辺では,縄文時代後期後葉~晩期前葉に照葉樹林はまず沢沿いに拡大し,その後,弥生時代中期に台地上でも優占するようになったと想定された。

収録刊行物

  • 植生史研究

    植生史研究 28 (1), 13-28, 2019

    日本植生史学会

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