エルサルバドルPKO派遣への道程

書誌事項

タイトル別名
  • The Road to Peacekeeping in El Salvador:
  • Japan’s Response to the United Nations Observer Mission
  • ―国連エルサルバドル監視団 (ONUSAL) と日本の対応

抄録

<p>1993年後半、日本は歴史的転換期を迎えていた。非自民連立政権が誕生し、長らく続いた五五年体制が崩壊する。その直後、細川護熙首相が政治改革を最優先に掲げた結果、政治指導者たちはPKOをめぐる議論から遠退き始める。それでは、ONUSAL参加への道筋はいかにして整えられたのか。本稿の目的は、ONUSAL派遣をめぐる政策決定過程を、主として外務省に着目して明らかにすることである。</p><p> 日本の対エルサルバドル外交は、外務省中南米局が準備した 「二つのD」 (民主主義と開発) 政策によって開かれた。和平合意の成立を機に、中南米局は 「二つのD」 の 「中核国」 にエルサルバドルを据え、中南米外交の強化を図っていく。クリスティアーニ大統領から選挙監視要員の派遣を要請されるや、中南米局と総理府国際平和協力本部は内々で調査を進め、武装強盗など紛争当事者以外の脅威まで 「発見」 するに至った。そうして得られた情報は、当時議論が集中した自衛隊や政治改革と掛け離れ、国会での建設的な議論に結び付かなかった。だが、ONUSAL派遣をめぐる営みは、新たに地域局主導のアプローチが形成される端緒を意味したのである。</p>

収録刊行物

  • 年報政治学

    年報政治学 71 (2), 2_168-2_190, 2020

    日本政治学会

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