中等教育における体育・スポーツの変遷と発展について(尾道市内高等学校の開校から今日まで)

書誌事項

タイトル別名
  • Changes and Advance of Physical Education in Secondary Education and Sports―From the Opening of a High School in Onomichi City to Today―
  • チュウトウ キョウイク ニ オケル タイイク スポーツ ノ ヘンセン ト ハッテン ニ ツイテ ヒロシマケン オノミチ シナイ コウトウ ガッコウ ノ カイコウ カラ コンニチ マデ

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抄録

1 戦前の運動活動  戦前に開校したのは、尾道商業学校、尾道高等女学校、尾道中学の3校である。 運動会は、3 校とも創立後の早い時期に開催している。このことから運動会は学校 教育の範疇で重要な行事の一つであった。寒中稽古は、3 校とも1 月の寒期に武道 の寒稽古を10 日間程実施している。寒中稽古は、心身の鍛練を目的にしたもので 3校とも学校教育で価値ある行事の一つであった。 3 校の運動の特長ある行事をみると、尾道商業学校は大遠泳であった。尾道高等 女学校の運動は女性らしいバレーボールとテニスに人気があった。尾道中学校は、 毎週、尾道中学から千光寺まで3キロメートルのマラソン、月に1度の10 キロメ ートルのマラソン、年に1度の18 キロメートルのマラソンであった。 2 戦前から体操・体練から今日の保健体育へ 尾道高等女学校の教科をみると、開学からの昭和17 年まで体操科、昭和18 か ら21 年まで3年間の教練、戦後の昭和22 年から23 年の2年間の体育、24 年から 今日までの保健体育と変遷してきた。 3 戦後の運動部の活躍 広島県高等学校総合体育大会の団体優勝、総合優勝を学校別にみると、各校が運 動部の隆盛が読み取れた。昭和20 年代は尾道北高等学校の独占から、昭和30 年 代は尾道商業高等学校の独壇場と移った。昭和40 年代以降は尾道高等学校の黄金 時代となっていった。広島県高等学校野球連盟で甲子園に尾道商業高等学校が7回 出場し、準優勝2回を数えた。また、尾道高校の水泳男子は全国大会、国際大会で 優秀な成績を残した。昭和20 年代と30 年代において、好成績をあげた運動部指 導教員は、母校に赴任し指導した教員が多かった。

収録刊行物

  • 経済情報論集

    経済情報論集 9 (2), 75-120, 2009-12-31

    尾道大学経済情報学部

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