19世紀中頃のリバプールとナイチンゲール

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タイトル別名
  • Liverpool in the mid of the 19th century and Nightingale
  • 19セイキ ナカゴロ ノ リバプール ト ナイチンゲール

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抄録

19 世紀に入って、リバプールは造船・港湾都市として急成長し、世紀中頃には、ロンドンに次ぐ国際貿易の拠点として栄えた。その繁栄の半面、アイルランドの大飢饉を逃れた難民が流れこんできた。彼らは地下室や袋小路の共同住宅に住み、劣悪な環境の中で悲惨な生活を送った。政治家であり資産家でもあったウィリアム・ラスボーンは貧民の救済に尽力した。彼は看護を専門職とする看護師を育成し、貧民家庭の病人を訪問させることを考えた。そのためのアドバイスをナイチンゲールに仰ぎ、指示に従って王立リバプール病院に看護師養成学校と看護師宿舎を創設した。さらに、彼は救貧院施療病院看護体制の改革にのりだし、ナイチンゲールの助力を得て、聖トマス病院ナイチンゲール学校の優秀な卒業生アグネス・ジョーンズを看護師長に迎えることができた。ナイチンゲールの最愛の教え子アグネスは貧民の看護に献身的に尽くし、人道の模範を示した。ナイチンゲール、ラスボーン、アグネスこの3 人を結び合わせたものは友愛と平等であり、貧民救済への熱意であった。その力は堕落した病院の看護体制を刷新したばかりでなく、貧困と退廃に満ちた社会に希望をもたらしたのである。看護が社会を向上させることのできた稀に見る例であった。

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