解体新書と, 付図を描いた小田野直武

書誌事項

タイトル別名
  • Kaitai-shinsho , An Old Famous Book of the Human Anatomy, Which Was Translated by Genpaku SUGITA and Illustrated by a Formal Soldier in the Akita Group, Naotake ODANO
  • カイタイ シンショ ト フズ オ エガイタ オダノナオタケ

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説明

type:P(論文)

解体新書(1774)は著者の杉田玄白と共によく知られているところであるが,このような解体書では,挿図の占めるウエイトが極めて大きい.解体新書5巻のうち,第5巻が付図で,これを描いたのが小田野直武という,その時26歳の秋田藩士である.彼が描図担当に至った経緯は運命的で,1773年に秋田藩(藩主・佐竹義敦,号・曙山)が平賀源内を鉱山検分のため招聘した際,宿の襖絵に注目した源内が,その作者・直武の画才を見抜くことになる.これが機縁となり,源内が江戸に引き揚げたその年の暮に,藩主・曙山の計らいもあって,直武は源内のもとに江戸に上り洋風画の修業に入る.このとき既に解体新書本体は出来上がっており,玄白は画師を探していたのである.親交のあった源内が,玄白に直武をその画師として紹介する.出版は翌年の8月であるから,直武は実質6ヶ月余りで木版の元になる図(模写)を仕上げたことになる.彼の画才と熱意が伝わってくる.ところで直武の江戸滞在は5年に亘るが,洋風画習得の収穫は曙山らにも還元し,秋田蘭画と呼ばれる洋風画の一派を形成して,西洋画の先駆けとなる.このような医学史上貴重な翻訳解剖書の出現は,一方で,西洋の学問発展を促し,他方,挿図担当が洋風画を興す言動力となったその美術史上の貢献も見逃すことはできない.

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