『國華』にみる古渡の中国絵画 : 近代日本における「宋元画」と文人画評価の成立

書誌事項

タイトル別名
  • Chinese Paintings Imported to Pre-Meiji Japan (Kowatari) as Seen in the Magazine Kokka : The Early Twentieth-century Japanese Evaluation of "Song-Yuan paintings (Sō-Gen ga) and Literati Paintings
  • 『 コッカ 』 ニ ミル コト ノ チュウゴク カイガ : キンダイ ニホン ニ オケル 「 ソウ モト ガ 」 ト ブンジンガ ヒョウカ ノ セイリツ

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抄録

本論では、近代日本における古渡の中国絵画に対する評価の成立過程を論じる。その対象は創刊から戦中までの『國華』に掲載された古渡の中国絵画作品であり、その掲載の背景、所蔵者、来歴、内容の分析を行う。結論として、当時の近代茶道と近代美術史学の成立を背景に、特に民間所蔵品の処遇をめぐって近代数寄者と近代研究者とが攻防し、最終的には主として前者が「宋元画」、後者が文人画の評価をそれぞれ確立したことを明らかにする。

一八九〇年代には中国絵画の掲載点数はまだ少なく、その所蔵者及び内容は限定された。一九〇一年に瀧精一が『國華』主幹に就任して以来、『國華』では専ら近代研究者としての立場から民間所蔵品公開の推進と数寄者批判を積極的に行った。その結果一九〇〇年代には中国絵画の掲載は質量ともに向上して掲載点数上第一のピークとなっただけでなく、従来の茶の湯の名物が新たに制作史の中に位置づけられ、「宋元画」に対する評価が成立した。

一九一〇年代から二〇年代は古渡の中国絵画の掲載点数上第二・第三のピークである。一方で民間所蔵品の公開と入札が最も流行し、近代数寄者と近代研究者との攻防が最も顕著にみられた。他方で一九一〇年代以降新来の中国絵画が掲載され、特に文人画評価の契機となった。その結果一九二〇年代までには古渡の文人画も再評価されるに至り、特に禅画は文人画の先駆とみなされた。

一九三〇年代以降、古渡の中国絵画の掲載は終息に向かうが、保存法の成立と個人美術館の設立により、民間所蔵品の処遇はほぼ定まった。

近代数寄者は道具を重視してその公開、入札、及び記録を積極的に行い、最終的に「宋元画」を含む「近代名物」を確立した。同時に、近代研究者は従来の文人とは異なり西洋美学及び美術史の基盤によったが、文人画評価をふまえて東洋絵画の特質を追求し、特に「書画一致」を重視するに至った。いずれも前代までの価値観の単なる継承ではなく、近代という新しい状況の中で、新しい集団によって獲得された、新しい価値観であった。

収録刊行物

  • 日本研究

    日本研究 47 53-108, 2013-03-29

    国際日本文化研究センター

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