歌で習う「国語」 : 植民地期朝鮮における唱歌と言語教育

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タイトル別名
  • Learning "National Language" through Song : Ch'angga and Language Education inColonial Korea
  • ウタ デ ナラウ コクゴ ショクミンチキ チョウセン ニ オケル ショウカ ト ゲンゴ キョウイク

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抄録

本稿は、植民地期朝鮮の言語政策における唱歌の位相を普通学校の唱歌教育を分析することによって明らかにし、それとは対自的に存在した朝鮮語教育と朝鮮語唱歌との関係を、民間主導でなされた文字普及運動や『朝鮮語読本』レコード製作に焦点を合わせて追求したものである。  植民地朝鮮における音による「皇民化」は「上から」の「国語」の音の強制と「下から」の朝鮮語の音の抑圧・排除からなる政策であり、唱歌教育はそれを身体化しようとする試みだったといえる。少なくとも学校の場では朝鮮語唱歌を動員しようとする動きはほとんどみられなかったか極めて歪曲された形で成された。それは根本的に日本語は国民精神の精髄でなければならない「国語」であるにもかかわらず、植民地末期まで相変わらずその朝鮮社会への浸透には限界があったという事実と関連がある。普及率が依然として低調な「国語」としての日本語に代わって噴出する国民精神を効果的かつ派手に装うことができたのは、公共の場で斉唱される唱歌や軍歌などの歌だったからである。  また「国語」の普及率の低さ故に朝鮮語も積極的に統治に活用しなければならなかった植民地勢力にとり朝鮮語は情報の効率的な伝達のための主段として管理されたのみで、朝鮮語唱歌による情報涵養や、まして朝鮮語唱歌の斉唱による音の共同性の実現は念頭にもなかったのである。しかし、教育の場で実現されなかった朝鮮語と朝鮮語唱歌との結びつきは主にメディアの場で多様に試みられ、時には体制に吸収されたり、時には「国語」という恩の共同性のもつ虚像を攪乱させたりした。何故なら、植民地朝鮮における「国語」政策が「国語」の内面化には失敗したまま音の共同性を性急かつ過激に推し進めるものだったからである。

収録刊行物

  • 日本研究

    日本研究 41 103-135, 2010-03-31

    国際日本文化研究センター

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