徳川吉宗の享保改革と豊後節取締り問題をめぐる一考察

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タイトル別名
  • Tokugawa Yoshimune's Kyōhō Reform and the Regulation of Bungobushi
  • トクガワ ヨシムネ ノ キョウホウ カイカク ト ブンゴブシ トリシマリ モンダイ オ メグル イチ コウサツ

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説明

本稿は徳川時代中期の一七三〇年代に、宮古路豊後掾によって創始された豊後節をめぐる浄瑠璃音曲と政治権力との葛藤を主題とする。豊後節はその魅惑的な節回しによって上方方面で大いに人気を博していたが、さらに彼が名古屋で発表した心中浄瑠璃「睦月連理𢢫」は異常な熱狂をもって民衆の間に迎えられた。これに対して幕府享保改革の風俗取締り政策においては心中物の上演は固く禁止されており、豊後節は淫風の音曲として禁圧されていたのであるが、それにもかかわらず江戸中村座において豊後掾の出語りの下に「睦月連理𢢫」が上演されて大成功を収める。しかし豊後節の熱狂的な流行は、世上に不義・密通を横行させ風儀をいちじるしく乱す要因となったとして再度の禁圧をこうむる。このような経緯ののち、豊後掾の弟子であった宮古路文字太夫はその姓を常磐津と改め、豊後節を発展的に継承して江戸の歌舞伎音楽の大宗としての地位を確立していく。  このように豊後節の生成と発展は時の政治権力との厳しい緊張関係の中にあり、豊後節は二度の禁止と二度の解禁というプロセスをたどりつつ、江戸では常磐津節の誕生を見ることになるのであるが、その経緯は複雑錯綜をきわめ、先行研究においても本問題をめぐる基本要因や背景的事情の解明は充分になされているとは言い難い。本稿は、幕府享保改革の風俗取締り政策の性格分析を通して、豊後節をめぐる上記諸事項を検討し、本問題の音曲史及び政治史上の意義を明らかにしようとするものである。

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