菅原道真詩文における"残菊"をめぐって : 日中比較の視角から

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タイトル別名
  • Zangiku (Late Chrysanthemums) in the Poems of SUGAWARA Michizane
  • スガワラノ ミチザネ シブン ニ オケル ザンギク オ メグッテ ニッチュウ ヒカク ノ シカク カラ

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説明

「残菊」は、中国唐代以来詩に詠まれていた題材であるが、日本ではそれをはじめて詩に詠んだのは、菅原道真である。しかも、中国の古典詩では「残菊」はあまり取りあげられなかったのに対して、日本では菅原道真をはじめとする漢詩人たちによって積極的に取りあげられていたようである。  ほとんどの先行論考では、「残」はもともと損なわれる・破れるなどの意味を持ち、唐代に入ってから出現した「残菊」という語は、「破れて残る菊・傷んで残る菊」の意味だとされている。そしてこれが、中国の詩では「残菊」があまり詠まれていない最大の理由だとも考えられている。  また、道真などの漢詩人の「残菊」も、敗れるなどの元の意味で詠まれていると考えられているが、これに対して、道真が「黄華之過重陽、世俗謂之残菊」(『菅家文草』巻五・三五六)と言っていることから、必ずしも衰残の意ではないと指摘した学者がいる。  このように、中国と日本の漢詩に登場する「残菊」について、いくつかの見解が存在している。そして特に、日本で最初に「残菊」を詩に詠んだ菅原道真の作品に議論の焦点が当てられている。では一体、道真の「残菊」と唐詩における「残菊」は、同じ意味を持つのか、異なるのか。さらに、「残菊」は中国では盛んに詠まれることはなく、逆に日本では盛んに詠まれるようになった理由はいったい何であろうか。  本稿では、唐の「残菊」を詠む詩は「九月十日」の作が多いのに対して、道真の「残菊」詩は、九月十日よりだいぶ経過した後の九月下旬・九月末日・十月・冬などの時期が多い、という日中における「残菊」の時期の差に着目し、道真の作品と中国の詩文における「残菊」を改めて比較する。そしてそこから日中における「残菊」の根本的な相違を論じるものとする。

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