J. S. ミルが行為倫理の基準を外在化しなかったことについて ―正義と功利の対立から考える―

書誌事項

タイトル別名
  • On the Contemporary Significance of J. S. Mill’s Behavioral Ethics:Thinking from his Modification to Bentham's Utilitarianism
  • J.S.ミル ガ コウイ リンリ ノ キジュン オ ガイザイカ シナカッタ コトニ ツイテ : セイギ ト コウリ ノ タイリツ カラ カンガエル

この論文をさがす

抄録

ブルータスは知己シーザーを殺害し、アームストロングはドーピングに手を染めた。その行為倫理には功利主義(と同様の精神性)が介在していた。ベンサムが宣言した功利主義は私たちに社会福祉の増大を意欲させるが、甚大な悪も内包する。ベンサムは2つの行為が社会に及ぼす幸福を量的に比較可能だとした一方、ミルは質的にのみ、それも経験を積んだ良識ある「人びと」の議論を介してのみ比較可能だとした。その含意は行為倫理の外在化の否定である。ところが私たちはテクノロジーの進歩に促されて、その外在化を放任している。本稿ではこの現に進行している事象の由来を、功利主義者集団の行動を記号表現することで論じた。

収録刊行物

詳細情報 詳細情報について

問題の指摘

ページトップへ