書誌事項
- タイトル別名
-
- カツヌマセイゾウ センセイ ノ タンソク スギウラシゲタケセンブン サキサカ ナオシノハカ
この論文をさがす
抄録
向坂兌(1853年4月~1881年6月)は,明治維新に活躍した日本の法曹界の偉人である。28歳で夭逝したため,現在その名を知る人は少ない。向坂は佐野藩に育ち,明治3年に貢進生となり,大学南校に進み,東京開成学校で学び,学力優秀であった。入江陳重,岡村輝彦らとともに,明治9年に第2回文部留学生として英国に留学し,Middle Templeにて法律を学び,明治12年に英国の法廷弁護士・バリスター(barrister)の資格をとる。その後,ヨーロッパ各国を歴訪し,明治14年5月に帰国したが,肺結核のため,同年6月14日に他界した。夭逝を悼む人が多く,顕彰碑が建てられた。これは戦争で戦火に破損されてはいるが,今も龍巌寺に存在する。向坂兌の姉は「升」といい,名古屋大学第三代学長勝沼精藏の祖母である。升は,夫・精之允が35歳で自害し,息子・五郎が40 歳で遭難死したため,孫の精藏と六郎を養育した。国際的な活躍をし,多くの人々を導いた勝沼精藏は,若くして他界した向坂兌の遺影を大切にしていた。
収録刊行物
-
- 山梨医科大学紀要 = 山梨医科大学紀要
-
山梨医科大学紀要 = 山梨医科大学紀要 17 10-19, 2000
山梨医科大学
- Tweet
詳細情報 詳細情報について
-
- CRID
- 1390572174731844608
-
- NII論文ID
- 110000495074
-
- NII書誌ID
- AN10032951
-
- ISSN
- 09105069
-
- NDL書誌ID
- 5621963
-
- 本文言語コード
- ja
-
- データソース種別
-
- JaLC
- IRDB
- NDL
- CiNii Articles