<論説>咸寧侯仇鸞の周辺 : 十六世紀の商業化時代における明朝政治考察の一助として

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  • 城地 孝
    京都大学人文科学研究所非常勤研究員

書誌事項

タイトル別名
  • <Articles>The Relationships surrounding Qiu Luan, the Marquis of Xian-ning, As an Aid to the Study of the Politics of the Ming Dynasty during the Commercialization of the 16th Century
  • 咸寧侯仇鸞の周辺 : 十六世紀の商業化時代における明朝政治考察の一助として
  • カンネイコウキュウラン ノ シュウヘン : ジュウロクセイキ ノ ショウギョウカ ジダイ ニ オケル ミンチョウ セイジ コウサツ ノ イチジョ ト シテ

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抄録

「北虜南倭」の外圧がつよまる明の嘉靖年間(一五二二-一五六六) のなかば、中央政界で重きをなした咸寧侯仇鸞は、北辺防衛軍の武官からのしあがり、嘉靖三十年(一五五一) の明蒙間馬市を主導するなど、十六世紀東アジアをおおった商業化の影響により流動化する辺境のありようを象徴する人物として知られる。本稿は、そうした仇鸞という人物の周辺に新安商人の故郷として知られる徽州歙県との関係が存在したこと、かつそうした関係がどのようにあらわれてくるのかということについて、安徽省図書館蔵『舊寫本王充仇氏家乘』や天啓・順治の両『歙懸志』などの諸史料をもちいてあきらかにする。こうした作業をつうじて、仇鸞というひとりの政治人物の背景にさまざまな要素が存在したことを具体例に即して示すことにより、多様な関係性の上に展開する明朝政治のひろがりやその展開過程を立体的に把握するための一助となることをめざす。

収録刊行物

  • 史林

    史林 96 (3), 387-420, 2013-05-31

    史学研究会 (京都大学大学院文学研究科内)

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