尾崎一雄研究 : 戦後の虫に関する作品から見た死生観(上)

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  • オザキ カズオ ケンキュウ : センゴ ノ ムシ ニ カンスル サクヒン カラ ミタ シセイカン(ウエ)

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尾崎一雄(一八九九~一九八三)は私小説家であり、ニ度の大病に悩まされ関東大震災や太平洋戦争を体験した作家でもある。その作家生活の中で特に目立つのが虫に関する作品である。問時代評においても、斎藤兵衛氏の「尾崎一雄が『蟲のいろいろ』はいふまでもなく、そのほかの作にもしばしば蟲についての観察や感慨をもりこんでゐることは誰でも知ってゐる。」という指摘や本多秋五氏の「虫の話が出てくると、急に生き生きしてくるから、妙である。」という指摘があるように、一雄が虫作品を多く書くことは周知の事実であった。 さらに一雄自身も「わが小説」(「朝日新聞」一九六一年一一月九日)で「六十一歳の現在、振りかえってみると、自然の前には人間も虫けらも、という考えがずっとつづいている。―いや、つづいているだけでなく、そういう考えが一層強くなっている。」と述べており、一雄の作家人生において虫作品は重要な立ち位置にあったということが分かる。その虫作品の量は、太平洋戦争の前と後で変化する。文章を書き、初めて原稿料をもらった『二月の蜜蜂』を処女作とすると、戦前の一八年間では『二月の蜜蜂』一作品だけであった虫作品が、戦後五年間では四作品と増えている。そこで戦争が一雄の執筆活動に何らかの影響をもたらしたと仮定し、処女作である『二月の蜜蜂』と、太平洋戦争後五年間(一九四五年九月~一九五〇年九月)に書かれた虫作品に注目し、虫の描写にどのような変化があるのかを見ていく。そして最終的に一雄が戦争からどういった影響を受け、それによって死生観や人生観にどのような変化があったのかを採りたい。

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