判官びいきの義経,殉教者のアルフサイン : その“最期”の間に揺れる日本人とイスラム教シーア派との捉え方の違い

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タイトル別名
  • ハンガンビイキ ノ ヨシツネ,ジュンキョウシャ ノ アルフサイン : ソノ"サイゴ"ノ アイダ ニ ユレル ニホンジン ト イスラムキョウ シーアハ ト ノ トラエ カタ ノ チガイ
  • "Pitted and Cheered Yoshitsune" and "the Martyr Alhussain" : Differences of View Points between Japanese and Shiites Regarding their Tragic Ends

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抄録

1189年に本州北部の奥州衣河で,源義経は庇護者に裏切られ自害を余儀なくさせられた。それより数百年さかのぼった西暦680年の秋に数千キロメートル離れたイラク南部の砂漠地帯の"カルバラー"というオアシスで,預言者モハマドの孫アルフサインが庇護者のイラク人シーア派に見捨てられ敵の兵に惨殺されてしまった。義経とアルフサインとは全く縁もゆかりもない二人の有名な歴史上の人物であるが,両者とも味方に裏切られ見捨てられ怨念を抱いてこの世を去ったという点においては共通している。日本ではこの悲劇の対象になった義経は"可哀想"と思われ"判官びいき"というイメージに留まる。そして,その悲劇は文学あるいは芸能という"柔らかい"イメージに過ぎなかった。一方イラクでは,イラク人はアルフサインを裏切ったことを重大な罪だと認識し今日に至ってなお"自虐祭"という血なまぐさい催しで毎年償いつづけている。国民性の違いで,両人物の悲劇に向き合う表現の仕方が違ってきたのであろうが,果たしてこれで義経の亡霊が浮かばれると言えるのであろうか。

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