発話行為の観点から見た日本語「嘘」と英語Lie の違い

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  • The Difference of Japanese Uso and English Lie from the Perspective of Speech Acts

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本論文は、発話行為の観点から日本語の「嘘」と英語の lie という語の意味に着目することで、その違いを明らかにした。その意味の違いをもとに、先行研究で指摘される「‘Lying’ は避けるべきである」という価値観の普遍性を批判的に検討した。意図的に述べた真ではない発話は、一般的に日本語で「嘘」と呼ばれ、英語では lieに相当する。しかし、特定の文脈において、lie は「嘘」の訳語としては用いられず、両者の意味は完全には一致しない。従来の先行研究からは、lie と「嘘」における各プロトタイプ要素の重要度の違いなどの示唆が得られるが、なぜ特定の文脈で lie が「嘘」の訳語として機能しないか説明できない。本研究は、(i) 相手の先行発話、(ii) 自分自身の先行発話、という2 種類の発話を lieもしくは「嘘」とラベル付けする表現を観察し、これらの文脈で lie や「嘘」という語を使用した際に生じる意味である、それぞれの発話行為を考察した。また、分析枠組みとしてNatural Semantic Metalanguage (Wierzbicka 1972) を援用することで、lie や「嘘」などの抽象的な語の意味の定義、および通言語的な語の意味の比較を可能にした。コーパスの実例に基づく分析によると、lie は上記 (i) の文脈で ‘you did somethingbad’ (ii) の文脈で ‘I did something bad’ という発話行為として用いられ、‘someone did something bad’ という語のスキーマ的意味を持つ。他方、「嘘」の場合は、このような否定的評価なしに (i) の文脈で ‘what you said is not true’ (ii) の文脈で ‘what I said is not true’ という発話行為として用いることができるため、語のスキーマ的意味としては lieの持つ否定的評価を含まない。このような lie と「嘘」の語の意味の違いから、lie をいう行為が常に ‘something bad’ と見なされる一方、日本語の「嘘」をつく行為は必ずしも「避けるべき」行為とは見なされていないという示唆が得られる。最後に、自民族中心主義というキーワードを通して、言語・文化の多様性を重視する研究者でさえも ‘Lying’ の価値観の普遍性を唱えることとなった動機を探った。異なる言語の母語話者の視点を考慮せずに、自身の母語に埋め込まれた価値観を疑うことなく所与のものとして扱うことによって、意図せずとも自民族中心主義に陥る危険性があることを指摘した。

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